喜べ!おまえに友達が出来たぞ、と紹介されたのは・・・

イスラーム教に改宗して数週間。改宗の儀式に立ち会ってくれたムスリム書生は、新人ムスリムを頻繁に気にかけてくれていたらしい。新人ムスリムへのアフターケアが充実しているモスクで改宗してよかった・・・

「ムスリム通信」ならぬ、イスラームとは何かについて画像やボイスメッセージが書生より送られてくる。


「はあい、元気か〜調子はどう?」と聞いてきたかと思えば、いきなり「神はもちろんいる」などと説いてくる。文脈おかしいでっせ。兄さん。

こんな調子である。あまりにもハードすぎる内容で、どうやって返すべきか返答に困るものも多い。

紹介されたのは日本語がペラペラなまさかの人!?

そんなムスリム書生から、「君にぴったりな友達を紹介するよ!今、サウジからドバイに遊びに来てるんだけどね、多分君と話が合うと思うんだ。電話番号を渡してもいいかな?」

素性は知れないが、害はないだろう。とりあえず承諾し、相手から連絡があるから待っとけという。その数十分後。電話が鳴る。サウジの国番号だ。これだ!と思い電話に出る。

「あ〜もしもし?あのですね〜」

普段、英語でのやりとりは記事内では日本語に置き換えているが、これは日本語のママである。

え?なんでサウジの人が日本語しゃべってんの?

困惑した。なぜサウジ人である電話越しの相手が流暢に日本語をしゃべっているのかといぶかしがると、次の言葉で理由が判明した。

「私はですね〜、以前日本でサウジアラビア大使館の大使をしていたものです」

は?大使?

大使が私に一体何の用があるというのだ?気づけば私は新橋駅のリーマンのごとく、電話越しに「はい、はい!問題ありません」とお辞儀をしながら受け答えをしていたのである。

「それじゃあ、今日のイシャ(就寝前の祈りタイム)前にモスクの前で!」

大使との謎の面会

そんなわけで、この謎の元駐日サウジ大使と会うことになったのである。電話を切った後、大使はワッツアップ(LINEみたいなもの)で自分の写真を送りつけてきて、なぜか私の写真を要求する。面会時に迷わないためだろうか。大使の意図はよく分からない。

続けて、大使の奥さんにも連絡を取ってほしいということで、渡された番号によく分からないまま挨拶メッセージを送る。

「旦那さんから紹介されたものですけども、本日はどうぞ宜しくお願いします」

一体自分でもなぜ見知らぬ奥さんに、このようなメッセージを送っているのか解せない。何がよろしくだ。

大使との面会前にひたすらググりまくる。先ほど大使から送られてきたセルフィーを照合していくと、本当に電話の相手は元大使だったのである。何この人・・・すごくね・・・?

約束の時間になって、ほぼ時間通りに大使はやってきた。しかし、大使は開口一番に質問してきたのは、「どうしてそんなに可愛いのですか?」「どこ出身なのですか?」である。

えーっと。日本語がすごく堪能なはずだと思うが。「可愛い」というのは、日本人女子が言われると喜ぶということを学習した結果であり、会話の初っ端に盛り込むことにより、相手の持ち上げようという大使ならではの高度な会話術なのだろうか。しかし、可愛さと出身地が一体どう関係あるのか?もうよく分からない。

10分程度会話をしたかと思うと、すぐに奥さんを紹介され、「じゃあ、後はレディー同士で」と言って、大使は立ち去ってしまった。大使とはそれっきりである。以後はこの奥さんこと、ウンム・バシャール(バシャールのお母さんという意味)と何回かお会いすることになる。

異業種すぎる交流会?

イスラームでは平等を説いている。大統領でも会社の社長でも、物乞いでもどんな社会的地位であれ、礼拝となれば皆が同じ列に並び、同じ動作で祈る。社長だから大統領だから前の方で祈る、といったことはない。そんな様々な人々が礼拝のため集まるモスクは、人々の交流の場となっている。

社会的地位や出自も全く異なる人間が集まる場所など日本にあっただろうか。義務教育が終われば、学生たちはみな同じような偏差値の集団に属していく。それは大学でも同じだ。会社に入れば、接する人は同じ会社の人間や取引先の人間などに限定されていく。日本であれば、それに加えて趣味の集まりなどがあるかもしれない。

それでも、その中で年齢や出身地が違う人々と、まったく意図しない出会いがあることは珍しいのではないだろうか。

モスクは社会的地位関係なく、イスラーム教徒とあれば誰もが通う場所だ。のちに話を聞いてみると、そのモスクの総支配人と大使は仲がよく、総支配人が「最近、日本人が改宗したんだよ」と伝えたところ興味を持ってくれたらしい。

めぐりめぐって意外な人とつながる。そんな出会いも提供してくれるのがモスクらしい。