トイレの衝撃!トイレの仕方について他人に説教される【後編】

そんなこんなで、新たなトイレの方法を習得したのだが、やはり人間は過去の過ちを忘れてしまうらしい。しばらくすると、惰性により前の紙オンリーの方法に戻っていた。

人間はそう簡単に変われないのだろうか。


新たなトイレの方法を取り入れたのも、トイレを詰まらせてフロントの方々に白い目で見られたくない一心ゆえである。しかし、しばらくそんな恥ずかしい体験から遠ざかっていると、人間は過去の過ちの深刻さを忘れてしまうのである。

また最近では、「まっ、これぐらいで詰まることはないでしょ」と思いながら、黒ひげ危機一発のようなゲーム感覚でトイレットペーパーを流していたことも事実である。これぐらいなら・・・ジャー(トイレを流す音)、セーフ!みたいなことを延々繰り返していたのである。

しかし、ついに黒ひげが飛び出してしまったのである。やべ・・・また詰まっちゃった。どうしようかな、と思いつつフロントをうろついていると、かつてプランジャーを持ってトイレを修理しに来てくれた修理工がいたので、「兄さん、プランジャー、頼みますわ!」と声をかける。

私の部屋なんて覚えていないだろうと思い「部屋の番号は・・・」と言いかけたものの、「ああ、分かってる。後から行くわ」と腑に落ちない回答。

この修理工の対応が、後に私を恐怖のどん底へ突き落とすのである。

20分ほどして、修理工はプランジャーを持参してやってきた。「すみませんねえ、また詰まってしまいまして。今日もよろしくお願いします」。「あいよ」と修理工は愛想よく答え、プランジャーでトイレ詰まりを解消する。

毎度ながら、他人にトイレ詰まりを解消してもらうことを、後ろめたく思っていることは認める。

「終わりましたよ。頼みますから、紙を流さないで下さいね。紙を流すとパイプが詰まって、大問題になるんですから。あなたが思っている以上に深刻な問題なんですよ」

修理工に説教されても、その深刻さを分かっていない人間はヘラヘラと「は!すみませんでした。もう2度としません」と言って繕うのである。

続けて、私は修理工に質問をした。なぜ修理工が私の顔と部屋番号を覚えていたのかが、ひっかかっていたからだ。まさかな・・・と思いながら質問をする。

「あの、もしかしてしょっちゅうトイレを詰まらせる客って私だけなのでしょうか」

修理工は、はっきりとそうだ、とは言わなかったが否定もしなかった。ここは肯定と捉えるべきだろう。

その瞬間、衝撃が身体中を駆け巡った。それは、このホテルにおいてトイレを詰まらせる客が私一人だったという新事実によるのではない。ましてや、私がトイレを詰まらせる唯一の客として修理工に認識されていたことでもない。

修理工のこの反応は、極東の島国にあるトイレの一角を思い起こさせた。

日本では「マナーを知らない人々」たる中国人に向けて、以下のような注意書きがトイレに貼られている。

日本では、「便座には臀部を付着させて座り」、「使用済みの紙はトイレに流す」のが当たり前なのです!と書かれている。裏を返せば、使用済みの紙をトイレに流さずゴミ箱などに入れる人間は、マナーのなっていない野蛮な人間による行為なのです、とでも言いたげだ。

実際、この注意書きを羽田空港のトイレで見たときは、「ププ、便座に前向きに座るなんて当たり前じゃん?使用済みの紙も普通にトイレに流すし」なんて思っていた。

しかし、それは”日本では”当たり前のルールだったのだ。

私は知ってしまった。自分が、このドバイにおいて使用済みの紙をトイレに流す「マナーのなっていない野蛮な人間」として見られている事実に。日本において、私が無数の中国人観光客に向けていた眼差しこそが、まさしく修理工が私に向けているそれだったのだ。

そして、世界では通用しない”日本の常識”を当たり前のように実践し、「おたくのトイレ、詰まりやすいざますよ?プランジャーよろぴくね」などと己の野蛮さを惜しみなくぶちまけていたのだ。これを愚かと言わずしてなんと言う。

中国人が野蛮なのではない。彼らがマナーのなっていない観光客なのではない。余談だが、ドバイでは金を落とす観光客として、日本人観光客よりも中国人観光客の方が重宝されているのが現実だ。

野蛮なのは私だったのだ。広い大海原で、島国の常識を水戸黄門の印籠のように振りかざし、平気でいられた自分の正気を疑うしかない。

そしてここに誓おう。もう、使用済みの紙はトイレに流しません。紙に頼らずとも、シャワーホース一本で用を足してみせます、と。