はじめてのお見合い 後編

ひょんなことから人生はじめての見合いが勝手にセッティングされてしまった。しかも相手はどこの馬の骨とも分からない、顔の知れない野郎だ。

アラブ社会では、容姿よりも家柄、職業、年収(女性側はかなりシビアに男性の年収を見ているよう)が重要視されているようだが、やはり得体の知れない相手と会うのは気が重い。


しかも結婚する気すらないのに、お見合いに行くのはやや気がひける。しかも勝手に設定されたため、断るタイミングさえも逃してしまった。

ま、これも人生経験。自らを人体実験に捧げてやるしかない。そう覚悟を決めて、私は待ち合わせ場所に向かった。

真剣な「お見合い」ではなく、自ら道化と化し野次馬根性でお見合いに参加するわけだから、「☆OMIAI☆」と書いた方がしっくりくる。

そもそもアラブ流の☆OMIAI☆作法なんて知る由もない。一応相手に失礼がないようにと、最近婚約したというエジプトの友人にアドバイスを求めるが、「まあ、なるようになるさ。大事なのは自分の気持ちさ」と無難すぎて対して役立ちそうにないものだった。

格好はどうしたものか。やっぱりムスリムの☆OMIAI☆だから、アバヤとかを着た方がいいのだろうか、等と考えをめぐらす。しかし結局、無難にいつものパンツスタイルにする。ま、所詮☆OMIAI☆ですから。

待ち合わせ場所には、お義母さまとその息子が乗った車が待ち構えていた。これほど緊張する一瞬はないだろう。話には聞いているが、容姿も分からなければ、雰囲気も分からない。全然結婚なんぞする気がなくても、いろいろと相手について考えをめぐらしてしまう。期待もする。その相手とついにご対面するわけである。

別に結婚に興味なんてありませんよ、と涼しい顔をしていればいいものの、なぜか「今から会う相手と結婚する可能性が少なくとも0.0001%以上はある」という可能性を真正面から突き付けられているような気がして、顔がこわばる。すでにジャッジメントタイムが始まっているのだろうか。しかし、審査のポイントがよう分からん。

息子、私、お義母さまの3人は車で近くのレストランへ直行。週末の朝なのでとりあえずブランチでもするか、というプランだ。

しかし、なんだこの違和感のあるシチュエーションは。

単にエジプト人の親子と会話をする会であれば、私も「異文化交流会」としてすんなり受け入れることができたであろうが、横にはもしかしたら未来のお義母さまになるかも知れない人。そして目の前には未来の旦那になるかもしれない人がいるというシチュエーションだ。結婚に縁もゆかりもない人間が突如として、このような状況に陥れば軽くパニックに陥る。自分は一体何をやっているのだろうと・・・

突然、お義母さまが、「エジプトの料理知ってる〜?」とトリッキーな質問をしてくる。

真っ当な花嫁候補であれば、調子を合わせて「ああ、あれですね〜」と知ったかぶるか、「存じ上げませんが、ぜひ勉強したいですねー。でも料理自体は結構上手なんです」など、とりあえず料理できますアピールをするべきだったのだろう。

しかし私は愚かにも「そんなもん知りません」と正直に答えたら、「まっ、この子ったら。こんなに有名なエジプト料理も知らないの?」とばかりにさっそくいびられる。まだ結婚もしていないのに、嫁いびりのフライング・・・・

こんな会話が繰り広げられるなら、結婚なんかしたくねい。結婚に対するマイナスイメージポイントがこれによりさらに加算された。

肝心のお相手との会話であるが、とくに明記することはない。つまりは、それほどありふれた日常の1コマだったということだ。はじめての男女が会って普通に会話をする。ただそれだけだ。「趣味は〜?」「旅行です」「どんな仕事してるんですか〜?」「エンジニアです」といった、淡々とソーシャルメディア上で拾えそうなプロフィールをなぞっていく退屈な作業である。

唯一、印象的だったのはアメリカのアマゾンで買い物をしても比較的早く、しかも安くドバイに届くという情報だった。へえ、それだったら私もアメリカのアマゾンを利用してみようかしら。これが我々の会話における一番の収穫であった。意外にも将来やお互いの家族観などが話題に上がることはなかった。

「また、会えるといいね」

そう言って別れたが、その後相手からの一切連絡はない。こちらから返事をするべきなのか、相手から返事があるものなのか、作法が分からない。

ただ相手から何も返事がないと、やはり自分に何か悲があったのだろうか・・・と考えてしまう。きっと野次馬根性で行ったからバチでも当たったに違いない。

この話をムスリムの友人にすると、「まっ。今回の相手はおめえにとっての運命の相手じゃなかったということだ。また神が別の人を用意しているから案ずることなかれ」と言う。

え!?神が運命の人を用意してくれんの?

どうやらイスラーム教の人々は、結婚相手が見つかるか、見つからないかを全面的に神まかせにしているらしい。ムスリムが頼るのは、婚活アドバイザーではなくて、神さんである。仮に相手が見つからなくても悪いのはあなたじゃない。あなたの容姿ではない。あなたの性格でも育ちでも年齢でもない。だから自分に悲があるんだとネガティブにならない。

自ら出会いを探しに、バーや婚活パーティーなどといった狩場へ行くことはしない。ただ日常を過ごして、周りから紹介されれば会ってみる。家族の許しを得てお互いにいいな、と思えば結婚を前提に付き合う。非常にシンプルなシステムだ。相手がまだ見つかっていなければ、「神さんの手はずが整えばそのうちやって来るでしょう(本当にあるムスリム女子はそう答えていた)」、などと片付ければいいだけだ。

決して周りのペースに乱されて、我を失うことはない。とにもかくにも日本では一つの価値観を押し付けたがる。婚活に励む人々は本当に結婚したい人々なのだろうか。周りがしてるから、30代過ぎると結婚が難しくなるとかいう、責任を持たない声や空気に無意識に操作されて行動している人もいるのではないか。

すべてが人間の実力、自分たちの思い通りになると思っている社会では、結婚できないことすら個人の責任として責め立てる。結婚資金がない、若くないから、といって自分に引け目を感じる。けれども神頼みの世界では、人との出会いなんて人間の力ではどうにでもならんのだ、と考える。なんて楽チンかつ便利な考え方なのだろう。悪いのはあなたじゃない。自力ではどうにもならないこともある。他力でいいのだ。過去の自分も含めて、この考え方で救われる人が日本には多くいるように思えてならない。