アラブ男子は母親っ子?アラブ人が考える親の介護、親孝行

最後に母親と話したのはいつだろう?この質問をアラブ人にぶつけると、大概が「さっき」だとか「昨日」とかいった答えが返ってくるだろう。たとえ母親とどんなに離れて暮らしていても、結婚していても、だ。

イスラーム教においては、両親への親孝行が推奨されているし、あるイスラーム教徒の友人いわく、盗みより両親への悪態の方が重罪であるとぬかすほどである。親への悪態は、イスラーム教においてはA級戦犯レベルになるらしい。


思春期でも反抗期はありえない?

とりわけ、親といっても母親の地位はずば抜けている。「アッラーの次に母親」と言われるぐらい、とにかくイスラーム教において母親は難攻不落の絶対的な地位を築いている。ハーディス(預言者ムハンマドの言行録をまとめたもの)においてこんな話が紹介されている。

「預言者さん、教えてください。この世で仲良く付き合うとしたら誰がいいでしょうかね?」
「母親だ」
「その次はどなたでしょうか?」
「母親じゃ!」
「えーっと、その次は・・・?」
「だから母親じゃ!」
「念のため聞きますが、その次は・・・?」
「まっ、父親だな」

とにもかくにもイスラームにおいては、両親とりわけ母親をゴリ押しするようだ。シリア人の友人も、毎日母親に電話をしている。

「そんなに毎日電話しても、話すことなくね?」
「話すことは何もない。話すといっても毎日5分ぐらいだよ」

ふーん。とにかく母親を気づかって電話をするという行為が重要らしい。つい本質的なことを追求してしまう私としては、「形式的だな・・・」と言いかけたがその言葉を飲み込んだ。

日本の思春期の青年にありがちな親への反抗すらもありえないのだという。親に手を上げることは言うまでもなく、「うっせえ、ばばあ」だとか、「クソじじい」もダメである。

親へ悪態をつけば、フルボッコも?

イスラーム教徒がどれだけ親への悪態をタブー視しているのかを紹介した興味深い動画がある。日本でいう「人間観察バラエティ モニタリング」のような番組で、仕掛け人の息子が、父親に向かって暴言を吐いたりした時の町の人々の反応を探るというものだ。

<エジプト>
薬局屋で父親を無下に扱う息子。息子が「サラリーマン金太郎」時代の高橋克典に見えてしょうがない。


店内の空気が凍りつく中、客の男性が「その態度はないんじゃないの?」と割って入る。

<アラブ首長国連邦>

レストランでスプーンを落とした父親に対して、「このトンマが!」と息子が父親をなじり始める。


「おめえ、その態度はないだろう」と横のテーブルから割って入る客。


息子が席を立った後、「大変でしたねえ。こっちの席に来てお茶でもしませんか」と誘う別の隣のテーブル客。

<サウジアラビア>

薬局屋にて、もたつく高齢の父親をなじる息子。


店内にいた客らがやはりここでも割って入る。

全編は下の動画から

暴力沙汰にはならなかったものの、とにかく町の人々は他人であっても親への悪態を諌める行動に出た。今の日本人からするとちょっと想像し難い。親子の関係なんて他人が口出しできるもんじゃないし、というのがおそらく大半の人が思うところなのではないか。

この動画をやらせだと思った私は、追加調査をすることにした。「見知らぬ親子の子どもが親に対して悪態をついていたらどうしますか?」という質問に対して身の回りのイスラム教徒たちから得られたのがこちらの回答である。

1.シリア人(ダマスカス出身):「撃ち殺すね」
2.ヨルダン人(アンマン出身):「そりゃフルボッコ決定だな」
3.エジプト人(カイロ出身):「蹴り倒してるな」

ギャグでしょー?とニヤケ顏で本人の様子を窺うと、当人たちはいたって真顔だった。いっておくと回答者は過激派でも原理主義者でもない、ごく普通の一般市民である。

「でも、知らない人に暴力振るうのはダメなんじゃね?」
「そのための暴力は正当化される」
「他人の親子関係なんて、アンタには関係なくね?」
「そんなの知ったことか」

矢継ぎ早に反論をしてみるが、どうやら彼らには「親への反逆は重罪である」という論が染み込んでいるらしく、とにかく親をけなす奴らは許せん!社会的な制裁を加えて良いのだ!という印象を受ける。

どれだけ親に反抗しないのか・・・日本人としてはやや驚いた仕事場でのエピソードをご紹介したい。

「親に言われたら、素直に従うのが基本だぜ。テレビが壊れて、親父が直せというから、修理のために業者に何度も電話をかけているんだが一向に業者が動く気配がない・・・」

その話を聞くまで、なぜこいつは仕事中に何度もテレビ修理業者に電話なんかしてるんだ・・・?と思ったが、これで納得がいった。親父さんのために、テレビ修理の電話をしていたのか。

しかし、「親父も暇なんだろうから、自分でやりゃあいいのに・・・」と心の中で思ったが、そう思っても親である以上抗ってはいけないのだろう。現代の日本人からすれば20代前半の男子が、親父の言うことにあれこれ従うというのは、あまり見られる光景ではないだろう。けれども、これが昭和時代なんかだとよくありがちな光景だったのではないか。

親を介護施設に送ることはありえない

親に悪態はついてはいけない・・・そんな戯言を言えるのは、まだ超高齢化社会の恐ろしさを知らんからだ、と思った私はシリア人の友人究極の質問をした。

「親が高齢化して痴呆になり、おまえさんに暴力を振るったりしても・・・それでも親に悪態一つつかないでいられるだろうか?介護のために仕事をやめる、もしくは仕事を続けるために親を施設へ送るケースだってあるのだ」

「親が高齢化して子ども返りするやつだろ。だがそんな場合でも、親に手を出すことはあってはならんのだ。それならば、俺は介護なんか厭わない嫁と結婚して、嫁にやらせる。親を施設へ送るなんてありえない。最後まで家族で見守るのが俺らの文化だ」

確かUAE人に聞いた時も、同じようなことを言っていた。なにせ家族が多いから、誰かしら面倒を見てくれる人間がいるわけである。日本では希薄化した親戚、地域住民との関係がまだ濃厚に残っている。金銭面にしても、親戚や家族で工面し合うという文化が残っている。

それにしても、介護を厭わない嫁なんか今時いるもんかね?むしろ日本でそんな発言をすれば、女性からは総スカンを食らいそうである。そんな嫁はもはや都市伝説と化してるぞ、といったが、この一言で何も言えなくなった。

「パレスチナやシリアの女性は、西洋の女みたくキャリアだのなんだのと言わない。夫に付き従い、生きていく。そんなシンプルな価値観を持った女性が多いからね」

ああ、そうか。単に価値観の違いなのだ。

このやり取りを聞いていたインド人は、「そりゃあ確かに、仕事と介護は悩むわ。でもインドの場合だと80%ぐらいの人は、親を施設に送ることに対しては抵抗があるし、施設に親を送りこもむものなら白い目で見られるぞ」。インドでも、親を施設に送るのはいまだタブーらしい。

どちらが良くて、悪いというものではない。家族が自宅で介護できるマンパワーや余裕があるアラブ人やインド人からすれば、家族の一員を施設に送るなんてありえない、のだろう。けれども、核家族化で親戚や家族とのつながりですらも希薄になりつつある日本においては、外部のサービスに頼らざるを得ない。

女性もバリバリ働くべき!という価値観があまり浸透しておらず、親を大事にする価値観が根強く残っている人々が多ければ、そりゃあ自宅で介護できるだろう。けれども日本はそうではない人々の方が多いのだ。男性だろうと働き盛りの世代は、キャリアか親の介護かという選択を迫られる。

でもだからといって逡巡することなく、親を介護施設に送っていいものだろうか。私にとってはその時期はまだ先の話である。きっと介護が必要な親を持つ人々はすでに、いろいろと悩んで各々の答えを出しているのだと思う。もしかしたらその選択をした後でも、悩み続けているのかもしれない。

ただ、自分がそうした立場になった時、未来の自分に覚えていてほしい。何も考えず自分の生活やキャリアだけを考えて、親を介護施設に送る前に・・・「親を介護施設に送るのはありえない」という価値観も存在したことを。