ドバイに長年いて見えてくるものなどあるのか

ドバイを訪れたものは、一様にしてこの都市を人工的かつ、金で作り上げた表面的な場所だという。

ドバイの住民でさえそれは変わらない。いくぶんか自虐的に、もしくは諦めきったようにドバイは浅薄な都市だと吐き捨てる。私が6年前にドバイを初めて訪れた時もそうだった。商業的で、何の面白みもない、つまんねえ場所だと。

ドバイが表面的、人工的、商業的と都市としてはあまり嬉しくない表現をされるのも仕方がない。なぜならドバイは文化や歴史を持った都市ではなく、「会社」だからだ。


我々は他の都市が持つような、町の息遣い、歴史、文化などをこのドバイにも同様に期待してしまう。だからこそ、そうした基準で見れば、ドバイはつまらないという意見が出る。なぜなら他の都市が当たり前に持っているものを持っていないからだ。

そんなわけだからドバイというのはあまり深く語られない。むしろ表面的、人工的だとしてそこには何もないと決めつけて、掘り下げる必要がないと烙印を押されてしまう。

すでにドバイは会社だ!と指摘する意見があったり(この手の出版物はだいたいドバイにおいて発禁になっている)、日本でも株式会社ドバイという本が出ているほどだから、ドバイは都市ではなく会社であるという見方がすでに浸透しているのかもしれない。

ドバイ住民、いや株式会社ドバイの社員となれば多額の報酬がもらえる。そして社員たちは、各々会社内に併設している、高級ホテルやレストランという名の福利厚生施設を利用する。そうした施設も一通り利用してあきれば、「暇だなあ」とつぶやくか、せっせと休みの度に「都市」へ旅行する。それがドバイ社員の暮らしのサイクルだ。

そして会社であるからドバイには定年退職者はほとんど存在しない。働かずして、この場所で生きていくのは経済的に困難であり、退職者にとっても給料をもらえないドバイにいる意味がないからである。

ドバイの年齢、性別人口構成をみると、それがほぼ一般的な会社の従業員の平均年齢などと一致することがわかるだろう。

参考記事:7割が男?高齢者がいない?ドバイの不思議な人口構成

人口構成からしても、都市ではなく会社なのである。

けれどもドバイ社員の一員として、一通り福利厚生施設を利用し、近隣諸国を旅行をし終えたあとに残ったのは、「暇」ではなかった。むしろドバイの面白さを感じるようになったのである。

もしかしたら心理学でいう相対性の罠ゆえに、あまりにもつまらない場所にいて、些細なことでも面白く感じる、そんな罠にハマっているのかもしれないが。

ドバイを都市ではなく、会社とみなせば俄然見方が変わってくる。いかにして砂漠からこんな一大企業を築き上げたのか。都市計画ならぬもはやビジネス経営の視点でドバイを見ていくと、非常に興味深い。

つまらないといって思考を停止してしまえばそれまでだが、モノやヒトが行き交う以上何かがそこでは起こっているのである。それをつぶさに取り上げて見ていけばまた面白いものが見えてくる。

ドバイの内政について細かく書かれた本だが、英語であれば間違いなく発禁になるレベル。しかし、日本語ゆえ検閲が及ばないためかドバイの紀伊国屋書店でも手に入れることができる。