酒、豚肉、世俗の味にさようなら。イスラム教に改宗した日

イスラム教への改宗決行を決めた昼、会社近くにあるイタリアンレストランへ向かった。世俗の味とのささかやなお別れ会を開くためだ。

最後の酒の味は・・・

イスラム教徒になるならば豚、酒は口にできなくなる。そんなわけでそうした味に最後のお別れを告げる必要がある。メニューに一通り目を通したが、豚肉を使ったメニューはなかった。豚肉はこの1年でも数回口にしたかぐらいなので、それほど名残り惜しいものではない。まあ豚肉は良しとしよう。

そして酒である。ワインにしようかとも考えたが、10月だというのにまだドバイでは日中の気温が40度近くになっていたため、ここはビールで喉の渇きを潤すことにする。

「ワインの神、バッカスになる!」と豪語し、朝からワインをのみ、毎日ワインボトル1本以上をあけるほど、のんべえライフを送っていた人間がまさか酒と別れを告げる日がやってくるとは思ってもみなかった。我ながら人というものはよく分からない。


のんべえ絶頂期に2週間足らずで空いたボトルたち

酒は人生のガソリンだ!と思い飲んでいた頃は、あのほろ酔い感が心地よく感じられたが、最後の酒は苦く、ただ体全体にだるさを与える。どちらかというと口にしたところでなんの得もないと感じる味だった。

店を出る頃には、酒はすでに名残りおしい世俗の味ではなく、もはや飲まなくてすむ、距離を置くべきものに置き換わっていた。

なかなか始まらない改宗の儀式

日も暮れ、会社から帰宅途中にふと空を見上げると、なんだか今日に限って月がくっきりと濃厚な色合いを醸し出している。今日の月はなんだかいつもと違う。直感レベルで感じたのだが、後で調べてみるとその日は中秋の名月であったことがわかった。中秋の名月に改宗とはなかなかオツなものだと一人悦に入る。

再びあのモスクの図書館を訪れると、やはりあのムスリム書生がいた。

隣にはムスリム書生の友達と思しき友人も一緒である。ジムで自身のボディを自慢していそうなほど、体が引き締まっておりきれいな筋肉がついているのがみてとれる。一見するとマッチョなチャラ男風である。

一方でムスリム書生はドバイの羽生結弦といっても過言ではないほど、フィギュアスケートの羽生選手に似て背が高くほっそりとした体つきをしている。ドバイの羽生というぐらいだから、ムスリム書生はあどけなさを残しつつも、生真面目さを漂わせている。

チャラ男と生真面目な書生。この2人を結びつけるものは一体何なのか。

鼻息荒くして乗り込んだためか、ムスリム書生は「まあそこへ腰掛けなさい。水でも飲むかね?」となだめるかのように言う。

「本日はイスラム教に改宗するためにきたんです」と告げると、「そうか。じゃあ俺がこの間話したことはすべて受け入れると見ていいんだな」と最後の念押しをされる。

「ああ、OKだとも」

言ってはじめて我ながら、「笑っていいとも!」のテレフォンショッキング並みのノリだなと心の中で苦笑してしまう。

改宗にあたって不安や質問はないか、と書生は意思の最終確認を行う。

「ムスリムになるにあたって一番大事なことはなんでしょう?逆にいえばこれをしたらムスリムじゃないとかいうものはあるのでしょうか」

と聞くと、

「いい質問だ。一番大事なのは信仰であり、6つのことを信じることだ。アッラーを唯一の神として、アッラーの天使、聖典、すべての預言者、死後の世界、天命だ」

天使?といえば「フランダースの犬」の最後のシーンでネロとパトラッシュを連れて行く天使しか思いつかないのだが、ああいう天使のことでいいのか?

と思いながら若干信仰に関して危うい部分があるとはいえども、後で勉強して信仰すればよいであろうと自分を納得させる。なにせムスリムといえばはたから見れば戒律が多そうで、いざ自分がムスリムになった時にすべてができるかといわれると、いまいち自信がない。

だからこそ一番重要なポイントを確認しておきたかった。周りがいうようなすべての戒律に従うよりかは、一番重要な根本をおさえ、そのほかは柔軟に現代、自身の価値観と生活スタイルをなるべくキープしたかったからだ。

信仰をもつ上で一番恐怖だったのは、目に見えない存在や規律に縛られすぎて自由な発想、行動ができなくなることだった。それは自分を自分たらしめるのにもっとも重要なことだからだ。イスラム教としての根幹は信じることとするが、自分が正しいとする自分の価値観は絶対に譲れない。

イスラム教徒となるのに、こんな反逆的な態度で臨んでいいものかと自分では思うが、ある意味では能動的に考え学ぶイスラム教徒としてありたいというのも事実だ。

イスラム教に関して浅薄な人間としては余計なことかもしれないが、宗派の確認をしておく。スンニ派が多数派だということしか知識がないため、とりあえず長いものに巻かれとけ精神でシーア派ではないことを確認しておく。

「あのーここってスンニ派ですよね?スンニ派とシーア派ってどう違うんでしょうか?」

ムスリムたちに何度もこの手の質問はしてきたが、なにせ回答に聞きなれない歴史上の人物が登場しまくるため、ほとんど頭に入ってこない。最終的にどちらの後継者を信じるかという違いなのだなということしか頭に残らないのだ。

ムスリム書生はどう答えるのか、と思い改めてこの質問をしたが書生の回答でもやはり歴史上の聞きなれない人物が登場しまくるため、右から左へと抜けていく。しかし、スンニ派とシーア派はムスリムとしては同じなのだ!と強調しておきながらやはりシーア派を若干ディスっている感が否めない。

初回にイスラム教について聞いたときも、ユダヤ教もキリスト教も認めると言っておきながら、結局ディスっているようだったので、こうして寛容なそぶりを見せつつイスラム教やスンニ派を格上げしてみせるのが、書生の手口なのかもしれない。

こんな調子でいくつか質問をしていたのだが、やたらとムスリム書生の回答&解説が長い。1つの質問につき、答えるのに30分以上もかかる。学校の先生であれば、話が長いと嫌われるタイプである。

熱心なのはありがたいが、早く本題の改宗儀式に入りたかったのが本音である。残りの質問を頭の片隅に押しやり、「まあ質問はこれぐらいにしておくんで、とりあえず儀式に入っちゃいましょう」と解説に熱心になる書生を儀式へと誘導する。

一生に一度しかない大事な瞬間だというのに・・・

イスラム教改宗の儀式は、シャハーダと呼ばれる信仰告白を行うだけである。行為自体は簡単だが、信仰告白はイスラム教徒としての5つの義務(5行)の1つであるためイスラム教徒としては重要なのである。

信仰告白では「アッラーの他に神は無い。ムハンマドはその神の預言者である」という主旨の一文をアラビア語で唱える必要がある。

アラビア語が話せない人間としてはその一文を唱えるのも結構大変なので、あらかじめスマホに用意してきた英語表記の文を読みながら行おうとしていたのだが、そこで隣でおとなしく話を聞いていた美しい筋肉の持ち主、チャラ男が横から入ってくる。チャラ男も一応ムスリムということにはなっている。

生真面目なムスリム書生に対して、「おめえはいつも改宗の儀式やってんだから、今日ぐらいは俺にやらせてみい。スマホなんかいらねえって。俺がいうのを復唱すればええんやて。」

改宗という重要な瞬間なのにこのチャラ男にまかせて大丈夫なのか?不安がよぎる。どうやら改宗者の儀式を先導することがイスラム教徒としてはちょっとした誉れになるようだ。

自ら船頭をかってでたものの、この男、やはりチャラ男である。大事な信仰告白の一文を「あれ、こうだったけ?」と何度も横から真面目なムスリム書生に間違いを正されている。こいつ本当にムスリムなのか・・・?

人生で一度しかないであろう大事な瞬間なので、ビシッと1回で決まるものだと思っていたが、やり直しにやり直しを重ね、なんとテイク3にまで入ってしまった。

結婚式で言えば、本番の式で神父がポカを犯したため、誓いの言葉を3回言うぐらいの気まずさである。ぐだぐだ感は否めないが、とりあえずテイク3で儀式を終えた。

無事に改宗儀式を終えた後は、チャラ男と真面目ムスリム書生から「おめでとう」という言葉をいただく。その後改宗してから初めてモスクの礼拝に参加。

まだ新人のため、祈りのマナーがわからず髪や体を隠すヒジャーブやアバヤのつけ方がわからない。とりあえず「ご自由にどうぞ」と言わんばかりに無造作に置かれたダンボールに押し込まれていた布を取り出し、かぶってみたもののあまりにも粗末な様子を見かねたベテランのムスリムおばさんが、「こうやってきるのよ」と直してくれる。

人に服装を直されたのは小学生以来である。社会人なのにムスリムとしてはまだ小学生。

そして礼拝終了後には、「みなはん、聞いてください。本日、日本人の女性がイスラム教に改宗しました」というアナウンスがモスク内に流れる。

予想していなかった突然のアナウンスにぎょっとする。恥ずかしさのあまりに余計なアナウンスしてくれちゃって・・・と毒づく。まるで「今日からみなさんと一緒に勉強する転校生がやってきました」みたいなノリである。

やれ、一体これからどうなることやら。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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