ドバイでイスラム教に改宗したい

その部屋は異空間だった。床から天井まで壁はびっしりと本で覆い尽くされている。本屋や図書館が日本に比べると極端に少ないドバイにいると、本という歴史の重みを感じる「図書館」にいるだけで、まるで自分がドバイ以外のどこかにいるんじゃないかという感覚に襲われる。


その「図書館」は近所のモスクの一角にある。「図書館」という名前に惹かれて入ったものの、ここがモスクの敷地だということを忘れてはいけない。文学、芸術、ビジネス書といった紀伊国屋書店並みの豊富な品揃えを期待してはいけないかったのだ。

図書館にいたムスリムの書生を呼びつけて、英語の本があるか確かめたが、どうやら向こうはどうしても私の外見からして、中国語や韓国語の本をすすめたいらしい。そうした言語の本はないので、手当たり次第イスラム教に関するパンフレットをかき集め、「パンフレットは何枚もったか?8枚か。よし、あと2枚足りないからもってきてやろう」というほど熱心な書生。

書生が近くにやってきて初めて気づいたが、若き男子はなかなか精悍な顔つきをしている。フィギュアスケートの羽生結弦選手のようなひょろりとした体つきではあるが、顔つきは塩顏の羽生くんとはほど遠い。しかし立派なイケメンの部類にはいるだろう。というわけで、ここではこのムスリム書生をドバイの羽生と呼ぼう。

ドバイの羽生は一体どこの国からやってきたのだろう。ドバイで初見の人間に対しては、この疑問が必ずといってついてくる。しかしドバイの羽生は、見かけや話し方からしてここだろうといった決め手がなかなか見つからない。聞いて初めて、ドバイの羽生はトルコとフランスのハーフであることが判明した。

両親はともにイスラム教徒ではなく、3歳でトルコからドバイにやってきた。自ら志願し、イスラム教徒となったらしい。家族がイスラム教徒であるため、自身も自然とイスラム教徒になったという場合に比べて、羽生のケースは、自らの意思で入信したあたり、かなり根性が入ったイスラム教徒とみえたる。

そんなガチのムスリムに新米ムスリムになる人間はやや怖気付きながらも、「イスラム教に改宗するにはどうすればいい?」と本題に入る。

「そんなの簡単さ。ある一文を唱えるだけでいいんだ」

なぬ?事前の調査によれば、アブダビの司法省に行って手続きをし、イスラム教徒の証明書をもらうといった煩雑なものだと思っていたので、有給をとってアブダビまで出向かなにゃならんのかいと考えていた浅はかな改宗前の人間にとっては、朗報である。

「考えてみろよ、昔にそんな煩雑なシステムがあるかと思うか?」

羽生に冷静に諭される。それもそうだ。大昔からイスラム教徒がいるわけで、そんな煩雑なシステムを取っていたのでは、イスラム教が現在において世界でもっとも多い信者を抱える不動の地位を築くことはできなかっただろう。

それにしても改宗の儀式は一文を唱えるだけなので5秒足らずで終わる。カップラーメンを食すことよりもイスラム教への改宗の方が簡単だったとは。しかし儀式は5秒で終わるとはいえ、その一文を唱えるのにはそれ相当の覚悟がいる。羽生からも、

「おめえ、なんでイスラム教徒になりたいんだよ」

と核心をついた質問を聞かれ、イスラム教徒になるための面接ととらえた私はとっさのことで口ごもる。そんな浅薄な私を哀れと思ったのか、羽生は即興でイスラム教についての立ち講義を始めた。キリスト教、ユダヤ教については常識程度は知っているので、始めのうちは「ふんふん」と聞いていたが、次第に羽生の話が熱を帯び、よくわからない世界に入り始めたため、適当に「まあ、そんなことがあるんですかね。旦那」などと適当に相槌をうつ。

始めはキリスト教もユダヤ教もイスラム教としては受け入れるのだ!と寛容さを装っておきながら、途中で別の宗教をディスり始める。そしてイスラム教がキリスト教やユダヤ教よりも優れていることをアピールすることにより、イスラム教にひきつけるというのが、羽生のイスラーム講義から得た私なりのポイントである。

そんな話を聞いて、

「さあ、君はこれを信じるかね?」

と振られたが、イスラム教の神や預言者を信じろというのは、再婚でやってきた新しいお父さんをお父さんと呼べ!というぐらい唐突すぎて困難なことである。これほどまでに再婚者の子どもの苦悩を身近に感じたのはこれが初めてだろう。物理的にはYES!お父さん!といえばそれで済むのだが、人間の習慣やそれまでの価値観というのがそれを阻むのだ。

「この件はちょっと持ち帰って検討させてください」

といいちょうど祈りの時間になったため、モスクへ行くという羽生についてこれから世話になるであろうモスクを見学することにした。無駄に金をかけたゴージャスなモスクの中では、老若男女、出身国さまざまな人が集まり祈りを捧げる。イスラム教徒が祈る姿は、なんとなく土下座みたいだなあと不謹慎なことを考えながらその日はモスクを後にした。

通常リーマンが言う「持ち帰り検討」は流れることが多いのだが、それから数日後再びまたあのドバイの羽生を訪ねた。

「ラー・イラーハ・イッラッラー、ムハンマドッラスールッラー」(アッラーの他に真の神はなく、ムハンマドは神の使徒である。)

これが私の答えである。