サウジ女性運転解禁のその裏で・・・サウジ女子の戦いはまだ終わらない

「おめでとう。やったな」と声をかけると「ついにこの日がやってきたって感じ」とサウジで働く彼女は答えた。サウジアラビアで女性が運転をできるというニュースを受けてである。


全世界のメディアがこぞってこのニュースをサウジの偉大な進歩のごとく取り上げた。この勅令が出るまでサウジはは世界で唯一女性が運転をすることが許されない国であったのである。まるで世界の国々は、「ようこそ、我々の世界へ」とでも言っているようだ。

女性が運転できるようになったと国連で報告するサウジの大使もこのほくほく顔である。まあ他の国にしてみれば当たり前のことをドヤ顔で言っているに過ぎないんだが。

メディア以上にこの変革を喜んでいたのは、サウジに住む女性たちである。ツイッターではまたたくまに「サウジの女性が運転できる」というハッシュタグがトレンド化し、この変革を喜ぶ人々の声が見られた。ちなみにサウジはGCC諸国の中でフェイスブックよりもツイッターが人気だという唯一の国だというのがGCC諸国に住む人間の共通認識である。

ほとんどのツイートの共通しているのは、今の感情を言葉ではなく動画や画像を使って表現していることだ。もはや言葉にならない、とはこのことをいうのだろう。この尋常でない喜びの表現が、どれだけ多くの人々がこの日を待ちわびていたのかを物語っている。

サウジ以外に住む女性にとっては当たり前のことだが、そうした当たり前がないサウジの女性たちにとっては、まさに現代のフランス革命のごとく大きな変革としてとらえているのではないか。

なぜ女性が運転をすることが禁止されていたのか。ニューヨークタイムズが紹介するところによると、それについては様々な諸説があるのだが、サウジのイスラム教指導者らはもごもごとするだけで、明確な理由は今日に至るまで明らかになっていないそうだ。

たとえば、サウジの文化的に女性が運転するのはよろしくないとか、女性が運転すればサウジの王室が崩壊するだとか、中には運転は女性の卵巣を傷づける可能性があるからだめなのだ、といったノストラダムスの予言なみに根拠がないものばかりなのである。これは、政治責任を突き付けられて支離滅裂な言動をする政治家よりもたちが悪い。

歓喜にわくツイートの中には、気になるツイートも。「次は」というツイートに、「シネマ」とアラビア語で書かれた画像。

サウジアラビアでは、芸術や娯楽が制限されており、お堅いイスラム教の指導者らが、男女が共にスクリーンに映る姿がけしからんなどと言うものだから、映画館の設置が禁じられている。

このツイートでは、女性が運転できるようになったならば、次は映画館を作ってくださいよ、という一国民の真摯なる願いなのである。しかし国に映画館を作ってくださいなどという要求レベルの低さから、どれだけサウジ国民が抑圧されているのかがうかがいしれる。

「サウジってのは映画館もねいのかい」とサウジに住むサウジ大好きエジプト人に尋ねると、「今はそうだけど、これからできるんだよ。なにせ最近のサウジは日々いい方向へと変わっているからね」とポジティブ回答。

一体サウジからどんな恩恵を受けているのか知らないが、サウジ大好き人間にかかると、他国の人間が顔をしかめるようなことでもすべて前向きにサウジを肯定して考えてしまうらしい。

女性が運転できるようになったというニュースの一方で、まだ別の問題は残る。冒頭のサウジで働く女性の同僚に聞いてみると、「運転できるのは喜ばしいけど、まだ別の問題があるからね。みんなそっちに関心を寄せてるわ」などと、サウジにはまだ問題が山積みであることをうかがわせる。

サウジアラビアでは男性の権限が絶対的であるので、女性は旅行にでかけるのにも、外へ出かけるのにも男性の許可がいるのである。独身の時は、父親もしくは兄弟の長男、結婚をすれば夫と、サウジの女性はひたすら男の許可なしでは自由に行動ができないのだ。

サウジにいる友人(女性)に聞いた話だと、職場の男性2人と歩いていたところ宗教ポリス(別名:勧善懲悪委員会)に、「お前らはどういう関係だ」と声をかけられたそうだ。そこで、「我々は友人です」と答えたところ、男女の友人が公共の場で一緒に歩くのはけしからんといって警察に連行されたのだという。そこで女性側に対し、「おめえ父親に許可とってんのかよ」という因縁をつけられ、父親に電話するハメに。

側から聞けば友人同士で歩いて警察に連行されるなんて、こっけいすぎる。吉本新喜劇でもこんなトンチンカンな設定はないだろう。そんなトンチンカン劇が日々繰り広げられているのがサウジという国らしい。

「女性が運転できるようになった」。現代世界であれば当たり前のことだけれども、さらに変革していかなければいけない問題は山積みだ。女性の運転解禁へ注目が集まっているからこそ、こうした核心的な問題への視線もそそがれていることをサウジは忘れてはならない。

サウジ女子の戦いはまだ続きそうだ。