欧米人がコワい!欧米人との遭遇による苦悩

ドバイの人口の半数近くはインド人のため、ドバイ暮らしは半ばインド暮らしのようなものである。大人しく半インド社会で暮らしていたらどんなに幸せかと思う。しかし何の因果か知らないが、現在働いている会社の大半は欧米人である。そこから未知との遭遇ならぬ、欧米人との遭遇による苦悩が始まるのである。

人間は未知のもの、もしくは異質なものと出会うと本能的に危険を察知して逃げようとする。欧米人というのは当初から私にとっては異質な存在であり、隙あらば逃げたいと思う危険因子なのである。


別に悪い人間だからというわけではなく、金髪、青い目ととにかく外見からして極東の島国の人間には馴染みがない。黒船来襲にびびった江戸っ子たちの習性が遺伝子レベルで今でも受け継がれているのではないかとさえ思う。

欧米人のココが怖い!その1 とにかくでかい

まず欧米人を危険因子と察知する大きな理由の一つがその体のでかさにある。とにかく男女関係なくあのでかさはなんなのか。無言で相手を威圧するには十分すぎるほどの体のでかさだ。

野生の動物界で言えば大きな動物に対して、小動物がびびるのは当たり前の原理である。そう、だから体が小さな極東の人間が体の大きな欧米人を怖がるのは動物として自然の反応なのである。

動物界であれば、ゾウを見ればイタチが本能の赴くままにサーっと逃げることができるのに対し、残念ながら人間界には人間としての最低限のマナーというものがあるので、体のでかい欧米人を見て危険を察知しても逃げることはできないのである。むしろ時と場合によっては、果敢に立ち向かって行かなければいけないのである。

あの時の恐怖といったら・・・もはや自然の原理に半しまくっているので体は硬直状態になる。人間をやっていてこれほど辛い時はない。

欧米人のココが怖い!その2 とにかくしゃべる

欧米、とくにヨーロッパ界隈では極東の人間には馴染みがない社交という儀式がある。明治時代の人間は懐柔的な人間が多かったのか、「それはおもしろそうやな!わいらもやってみたいやんけ!」などといって鹿鳴館で社交会なるものをのんきにおこなっていたようだが。そんな明治の人間のような余裕は私にはない。

極東のしかも、内向人間にとっては社交との関係は、まるで南極と北極ぐらい対極にあるものなのだ。

とにかく暇さえあればその辺をうろついて、数人で輪になり談話を始める。内向的人間からすればかなり高度なテクニックである。間違ってその輪に入ってしまった時はもはや巻き込み事故のようなもので、ひたすら交わされる言葉の格闘リング上で、ただ一人白タオルを放り込んで、この場から早く立ち去りたいという思いにかられる。

そんなわけで欧米人が多い会社で働くのも一苦労。欧米人とすれ違えば、なぜか蛇に睨まれたカエルのごとく体が硬直してしまう。そんな感じで1日を過ごしていたら、体のコリがひどいことになり悪夢にまでうなされるようになった。

それもそうだ。本能としては逃げたい思いに狩られているというのに、ひたすら巨大動物に毎日立ち向かう日々なのだから。食料のためにマンモスに立ち向かっていった原始人よりも生きるために苦労しているのである。

慣れで欧米人恐怖症は克服できる

一方で会社だけでなく私生活でも欧米人の侵食が始まる。息抜きにスポーツクラブに通い始めたものの、生徒も先生もこれまた欧米人だらけなのである。息抜きのはずが余計に息がつまる生活になってしまった・・・

しかししばらくすると、真面目な仕事の場でなく気楽な私生活での付き合いということもあり徐々に欧米人に対する恐怖心が消えていったのである。ともに汗をかき、楽しい時間を共有しているともはや逃れるべき敵ではなく同志へと変化するらしい。それと同時にあれほど怖かった仕事場での欧米人への恐怖も薄らいでいった。これは慣れというやつなのか?

慣れとは恐ろしいとよくいったものだが、この慣れがまさか本能の恐怖心を和らげる鎮痛剤になるとは・・・慣れも時には役立つものである。