同僚の出身国は40カ国以上。多国籍都市ドバイで働いて気づいた5つのこと

私は現在、中東のドバイという都市で働いている。会社の辞令ではなく、自ら志願してこの中東という土地を選んだ。

中東諸国は、日本の駐在員の間ではハズレ勤務地として敬遠されており、仮に駐在員が駐在したくない国ランキングがあれば、必ずや上位にランクインするだろう。

中東=危険というイメージ。それに多くの国はイスラーム教の国で、酒も飲めず、ナイトライフも充実していない。ストレスフルなリーマンを癒すオアシスが存在しないのだ。不人気なのもわかる気がする。

中東といえば、アラブ人が多いというイメージをもたれるかもしれない。ドバイに移り住む前は、私もそう思っていた。

けれども、ドバイは違う。ドバイがあるアラブ首長国連邦(UAE)は、200カ国以上の人間が住む多国籍な国なのだ。

出身国で人を判断するのはナンセンス

現在、私の職場では、40カ国以上の国籍を持つ同僚たちが働いている。

南米から北米、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、オーストラリアまで、5大陸すべてを網羅している。その数たるや、軽く国際会議が開けるレベルである。

これだけ多国籍な人間が働いているとついつい、お互いにどこそこの国の人、という目で同僚を見てしまうことがある。

極東の島国で生まれ育った私はなおさら。まず、外国人に対しての免疫や見識もそんなにない。

ブラジル人の同僚が新たに加わった時。「ブラジル人は陽気だから、もしかしたら仕事中にサンバを踊り出すかも!?」と密かに期待していたのだが、内向的な私よりも口数が少なくおとなしいので、がっかりしたこともある。

そりゃそうだ。ブラジル人がみな陽気なわけでない。

いろんな国の同僚たちと仕事をしていくと、国でひとくくりにしてジャッジするのはいかんなと思うわけである。

というより、その人となりを探ろうとする上で、出身国や人種というのはいまいち強力な判断基準にはならないというのが、気づきである。

例えば、故郷のソマリアのことはほとんど知らない、カナダ生まれのソマリア人。

生まれはインドだが、人生の半分以上をすでにドバイで暮らし、本国のインド人とは言動も容姿もだいぶかけ離れているインド人。

一見するとパキスタン人やアラブ人に見えて、英国訛りの英語を話すイギリス人。

お国柄のイメージと本人がまったく一致しない。私の知らないところで、世界はどんどん進んでいたらしい。

もはや国籍なんて、単なるパスポートの発行国を示すぐらいで、その人となりを知るのには、心許なさすぎる。

要は出身国よりも、育った生活環境、家庭の経済力、教育といったものの方が、その人となりを推測する上で重要なのではないかと思う。

何人だから、こうなんじゃないか、といった見方は通用しないのだ。

自分の代替はいくらでもいる。世界が競合相手

誰もが機械のように、自分は代替可能な存在なのだ、と思われることを好ましく思わない。なんていったって、唯一無二の人間だもの。

しかし、悲しいかな。少なくとも会社で働くということにおいては、辛い現実を受け止めなければならない。

日本で会社を辞める時はだいたい、引き止められたり、引き継ぎ業務が面倒だの、周りに迷惑がかかるからといって、快い顔はされない。

時には会社や同僚たちへの「裏切り行為」とすら、とらえられることもある。

事実、私も日本の会社を辞める時に、「今後もうちで働く意欲を見せていたのに、辞めるってどういうこと?」などとつめ寄られたことがある。

ドバイではそうしたケースは皆無で、むしろ「次の仕事が決まったの?よかったじゃん」と笑顔で対応される。

引き止めが発生する場合もあるが、基本はこのように「おめでとう」と送り出すことが、こちらでは一種のマナーらしい。

人が辞めると職場は困りそうなものだが、そんな不安は無用で、すぐに新しい人がやってくる。しかも、大半のケースは新しい人の方が、仕事ができるというパターン。

人が入れ替わることで、会社にささやかな改善がもたらされるのだ。

会社にとどまる側としては嬉しいが、自分が辞めた時もすぐさま別の人材(しかも自分よりデキる)と置き換えられると思うと、ちょっと悲しくなる。けれども、それが現実なのだ。

所得税がなく、アメリカやイギリスといった先進国よりも給料が総じて高いドバイで働きたいという志願者は多い。何よりこのご時世に、外国人が労働ビザを取得しやすいという理由もある。

人が足りないとなれば、世界中に募集をかけて、中南米のブラジルからでも人材をひっぱってくるのだ。

しかも最近ではよくできるアジア人材が流入している。

彼らはヨーロッパやアメリカ人たちよりも低い給料で働くというのだから、企業としては同じ経験とスキルを持ち、より安く雇えるアジア人材を雇いたいというのが実情。

世界中の連中がこぞって働くドバイにおいては、常にスキルや経験のアップデートをしなければ生き残れないのである。そこでは、出身国などは関係ない。重要なのは、どこでも必要とされる実力なのだ。

残業して何になる?仕事よりも重要なものを持て

ドバイにやってきてまだ間もない頃。深夜まで一人で残業をした時、同僚たちにドン引きされたことがある。翌日の職場は、この一件でどよめいていた。「会社で一夜を過ごしたのか」などと半笑いで、ジョークを飛ばすものもいる。

たかが残業をしただけで、なんだかの反応は。屈辱じゃないか。

この一件で私は覚醒し、残業はカッコ悪い、残業などするものかという教訓を深く心に刻みつけた。

同時に、日本では当たり前の行動も、時に海外ではドン引きの対象になることを心得たので、日本っぽいと思われる素行は、努めて引っ込めるようにした。

こちらは仕事に対してドライな人が多い、というのが実感だ。

契約外の時間を使って仕事するのは、どう考えても労働者にとって損である。定時で帰るのは、労働者として当然の権利行使と言わんばかりである。

ドバイで働く人は、口には出さないが、このことをきちんと心得ているようで、管理職や経営層も含めて定時には帰っている。残業なんかしようものなら、いぶかしがられるだけである。

もちろん就業中はそれなりに仕事もこなすが、やりがいのある仕事で人生も充実だとか、仕事で成長して充実感を感じる、といったことはあまり耳にしない。

「俺が働く理由はな、早期退職のためだ。ドバイでガンガン稼いだ後は、母国で悠々と暮らす」とのたまわったり、上司の目の前で、数年後の起業プランをとつとつと語り出し、現在の仕事はその前段階にすぎない、などとぬかす輩もいた。

あくまで仕事はツールでしかない。「仕事が充実していて、人生が幸せ☆」などと言えば、「はっ?」というような顔をされるだろう。お前は人生で仕事しかしていないのか、などと言われかねない。

それよりも重要なのは、プライベート。日本では、同僚たちのプライベートは謎に包まれているケースが多いが、こちらではオープンに開け放たれている。

週の終わりになると、「どんな週末を過ごすか」、週明けには「どんな週末を過ごしたか」というお決まりの会話が飛び交う。こうした雑談を踏まえつつ、仕事は動いていく。

単純に「疲れて1日中寝てました」だとか「ネットやってました」とかいう回答は、歓迎されない。むしろ「つまんねえやつ」という烙印を押される。

決して仕事の能力や経験には関係ないが、人柄がよくわかるプライベートというのも、意外と仕事でのコミュニケーションを広げてくれるものなのだ。

世界は圧倒的不平等。そして日本は恵まれている

日本ではなにかと、みなが平等であることを強調する。抜きん出ていても、遅れていても、とりあえず平均におさめようとする。

そんな社会で育った私は、ドバイにやってくるまで「人類はみな平等〜」などというスローガンを信じきっていた。いや、現実はそうでなくとも、そうなるといいよね、という思いを込めてである。

もはやそんな夢物語を信用することはない。目の前に広がる圧倒的な格差。こりゃ、どうしようもねえ、とお手上げするしかない。

世界の格差の縮図とも言われるドバイ。月収10万円以下の給料で「労働者キャンプ」などと呼ばれる宿舎で生活し、母国の家族に送金を続けるインドやパキスタンからの出稼ぎ労働者たち。

一方で、ヒラの公務員ながら1,000万円以上の年収で、ゴージャスなプール付きの邸宅に住み、高級車を乗り回す、メディアがとりあげる典型的ドバイの金持ちもいる。

職場でも同様だ。イギリスやアメリカ、フランスといった先進国からやってきた同僚たちは、いっときの異国体験のごとくドバイにやってきて働く。ドバイに飽きたら、気ままに母国に戻ればいい。

一方で、インドやパキスタンたちの同僚は、「もはや母国は危険に満ちて安全に暮らせる場所ではない。だから母国に戻ることはねえ」などという。

「母国に戻ったら徴兵されるか、多額の罰金を払うハメになるので、もう戻れない」とこぼすシリア人もいた。

多くの人は認めたがらないが、生まれた国や家庭の経済力によって、人生がおおよそ決まってしまうのだ。いや、人生というと大げさだが、選択の幅に大きく影響することは間違いない。

この文脈で言えば、日本は圧倒的に恵まれている。日本人は、他の国の人間に比べれば、より多くの選択肢を持っているのだ。

私はドバイで働いていても、母国で貧しい生活を送る家族や親戚に送金する必要もない。稼いだら稼いだ分だけ自分の好きなことに使えるのだ。

けれども、これは私の実力ではない。運である。偶然にして豊かな日本に生まれ、その恩恵を受けているだけの話である。

時々、そんな偶然を自分の実力かのように振る舞う人もいる。我々日本人や欧米人というのは、途上国の人間よりも、進んでいるだの、偉いだのというのは、ちょっとお門違いじゃないかと思う。

豊かな日本に生まれてよかったあ!ハッピー・エンド☆という話ではない。

自分の想像以上に、選択肢が与えられていることを知った今、いかにして持ちうる選択肢を最大限に有効活用するか、を問われているのだ。

人と比較したところで幸せにはなれない

ドバイでは上を見ても下を見てもキリがない。

下を見て自分が置かれた状況が恵まれていることを実感したのが束の間、十分な経験がなくても自国民ということだけで優先され、破格の月収を手にする金持ちUAE人をうらやましいと思い始める。

英オックスフォード大学の心理学専門のエレーヌ・フォックス教授いわく、他人と比べるのはそもそも脳のバイアスだという。

目標を達成したり、自分が得たいものを得ても、他人と比べるという脳のバイアスにより幸福感は消失する。だからこそ、他人と比べることをやめ、自分が何に幸福を感じるのかについて集中すべきだ、と語る。

それに気づいてからは、他人と比較するのをやめた。すると、他人と自分を比べて不幸になる時間が減った。増えたのは、自分がどんな時に幸福を感じるのか、を考える時間だ。

人間は流されやすい。世間や親が言う「幸せ」を己の幸せと思い込んでしまうことがある。本当は、そんなものを求めていないのに、ついそうしなきゃなどと思ってしまう。

安定した大企業への就職、高年収の仕事、結婚。一見、幸せをまとっているように見えるが、必ずしもそれが万人にとって幸せなものとは限らない。だからこそ、自分が何に幸せを感じるのか、を考えてみる必要がある。

他人が定義する幸せでない、自分の幸せを定義しなければならないのだ。

経済事情も社会的地域もバラバラな人々が住むドバイで得た気づきである。

海外で働きたい・働く人へのおすすめ本

開高健ノンフィクション賞受賞作家による本。パリの国連で働いていた著者が、現地で活躍する日本人のストーリーをまとめたエッセー。フランスやパリというワードに興味がない人でも、楽しめる。

海外で働いていて、最も救われた本と言っても過言ではない。言葉ができないから、文化が違うから、と言って片付けてしまいがちなことでも、ちゃんと理由があるということを教えてくれる。海外で働く人のバイブル。

湾岸やイラン、トルコなどイスラーム圏で働く日本人の話をまとめたもの。海外で働く系はよくあるが、イスラーム圏に特化したものは珍しい。イスラーム圏ならではの文化の違いや、苦労話を知ることができる一冊。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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