もはやイスラム教と犬の関係などどうでもいい

イスラム教について、典型的なイメージしか持たない日本人からするとイスラム教というのは犬を不浄な生き物として扱っているから、イスラム教徒は犬と交わることはないというのが一般的な捉え方かもしれない。

しかし、ドバイの街中を見渡すとヨークシャテリアやチワワといったおペット犬が普通に散歩しているし、当のUAE人でさえも「サルーキ」は猟犬であるから、通常の犬とは一線を画しているなどといってサルーキを愛でている。現代では猟犬ではなく、普通のペットとしても飼われている様子からしても、サルーキに対するその「特別枠」は腑に落ちないところがある。



本気を出せば時速約70kmで走るサルーキ

本当にイスラム教徒は犬を不浄の生き物として距離をおいているのだろうか?犬とイスラーム教徒の関係は、あいまいだ。

さらにUAEでは、捨て犬や猫を保護するシェルターもいくつか存在する。野生の犬もいれば、ドバイを数年で去ることになり、飼い主がそのまま置き去りにされたケースもある。

そうしたシェルター1つ、ウンムアルクワインにある「Stray Dog Center UAQ」というシェルターでワンコと砂漠を散歩しようという会が開かれたため参加してみることにした。名目上はボランティアということになっているが、ドバイ市民からすれば娯楽が少ないドバイでの一種の暇つぶしと、単に犬と絡みたいという目的で集まる人間の会である。

シェルターは砂漠のど真ん中にあった。何もこんな人里離れた砂漠にシェルターを設置しなくても・・・と思ったが、むしろ誰も気にしない砂漠だからこそシェルターを作れるのかもしれない。

施設は思った以上に清潔感にあふれており、拘置所で一泊するぐらいならこのシェルターで犬と一泊したほうがよいと思うぐらいの快適さと心地よさがある。

犬の種類によって、檻をわけており散歩をさせるときにも決して他の犬種同士が交わらないようにと、細かな配慮が行き届いている。

ここで保護されている犬たち総勢130匹ほどを30人ほどのボランティアが1匹ずつ連れ、散歩をさせるのである。


砂漠が暑すぎたのか散歩後、速攻で水風呂に入るワンコ

さてどんな人間がこの不思議な会に参加しているのだろうか。一応ボランティアという名目なので、まあそれなりに市民社会に貢献しようとかいう善良な市民が参加しているものだと思っていたが、目の前の現実に自分の器の小ささを知ることになる。

セクシーすぎるほどのロシア美女とその連れ、ちょいワルな男。どーみても彼らが砂漠でワンコと散歩させている姿が想像できない。むしろクラブで踊っているほうがしっくりとくる。ロシア美女は、背中がはだけたタイプのTシャツを着ている。ワンコとの散歩でそんなセクシー感を前面に出してくるとは。ロシア美女はあなどれない。

そしてさらなる衝撃が走る。ドレッドヘアーに鼻ピの女子。ホームレスと見紛うようなヒッピーファッションで現れた謎のアジア系アメリカ人もしくはカナダ人。アジア系ということもあり、なんだか親近感を抱いた。

しかしイスラエル留学時代にアジア系アメリカ人は、顔は似ていても中身は全然違うということを学んだので、同胞ではなく異邦人としてやや距離を置くことにした。こちらもその姿から犬と戯れる様子が想像がつかない。

そして最後にムスリム女子三姉妹である。姉妹なのかは不明であるが、イスラム教であることは間違いない。ムスリム女子と犬が戯れる画像を目におさめる日がやってくるとは。彼女たちが訪れた理由は、UAEに生息する動物調査のためという偉大な大義名分のもとであるが、それでも研究調査のために犬と戯れるムスリム女子て・・・

さらにはシェルターの管理人の一人がジモティーのUAE人のおっさん。もはや「え?イスラム教徒ですよね?」と聞くのは無粋である。戒律がどうこうというよりも、みはなされた動物を愛でてお世話をしたいというあふれんばかりの慈愛からシェルターの管理者になったのだろうと察する。

イスラム教はこうであるべき、というつまらん価値観に支配されている自分が、目の前で楽しそうに犬と戯れるイスラム教徒を見て半ば、現実と自分の価値観のギャップに発狂しそうになったので、もはやイスラーム教と犬の関係なんぞどーでもいいということで自分を納得させた。

そうなのだ。イスラム教徒といっても、一般に言われるすべての戒律を守っているわけでもないし、戒律を守ることがイスラーム教徒たらしめるものでもないらしい。

公のバーで酒をたしなむムスリムのおっさんもいれば、断食をしないムスリムもいる。犬と戯れるムスリムだっていておかしくはないのだ。あくまで自分がどう捉えるかの問題であって、あまり戒律にとらわれていないのが、現代のムスリムの姿でもあるようだ。

もはやイスラム教徒だから、豚肉食べないんでしょ、犬に触れないんでしょ、お酒飲まないんでしょという一方的な価値観を押し付けるのはやめよう。戒律以上に自由に振舞う人間たちを見たときに、「そうあるべきではない」といった違和感を感じて自分がおかしくなってしまうから。