日本人としてのアイデンティティをかなぐり捨てて2年。そろそろ日本人としての優位性を発揮しようじゃないか

この2年間、日本人としてのアイデンティティは息を潜めていたように思う。仕事場で日本人だから優位になるわけでもなく、日本人だからできる仕事でもあるわけでもなく。むしろアジア顔のくせに、中国語も韓国語もできないのか、とがっかりされたことはしばしばある。日本語はおよびでない、そして日本人もおよびではないのである。

さらに海外に出ると、よくいるいるなカテゴリーにあてはまる、日本文化の伝道師でも日本と海外をつなぐつなぐ人間もでない。この時点で、私がドバイにおいて日本人である利点などはないのだ。ただただ、単なる個人として扱われるのがオチであった。


けれども最近、仕事だけの人間になってはいかん、という思いのもと自身の多様化を図るプロジェクトを始動させた。それが柔道でも始めるかというものである。

社会人が運動不足脱却のためと言ってはじめがちな、フットサルやYOGA!といった大衆的なものではダメなのだ。YOGA!をやって健康な自分をアピールするのもしらじらしいし、そもそもあの謎のポーズが宇宙との交信ポーズもしくは新興宗教のようである。集中できない。

YOGA!をやってしまうのは、私にとっては新興宗教に入信するとのニアリーイコールなのである。一方で仲間と汗をかいて士気を高めようという集団スポーツのフットサルも性に合わない。

といって、ジムに通い無機質なランニングマシーンの上で、ひたすら走るのも哀れな行為のように思える。ただでさえ、宇宙ステーションのような無機質で人工的な都市に住んでいるというのに、それに加え無機質なジムで体を動かすというのは、もはや立派な宇宙ステーションの住人になるということである。ドバイにはこの手の哀れな運動者が多い。

ジム通いの人間をディスるのは同居人への嫌悪からきている。ジム通いをして、俺は筋肉をつけるのだ!といいプロテインを飲んで士気を高めていながらも、夜の10時ぐらいに太りそうなディナーをする同居人を見て、これを愚かと言わずになんと言えるだろうか。そもそもお前が筋肉をつけたところで女にモテる日はこないのだと断言できよう。

あらゆる社会人にとって一般的な、お手軽でオシャンティなスポーツをディスったところで、残ったのが柔道である。今さら自分がまったくやったことのないスポーツをやるよりかは、身近なスポーツの方がよいと思ったからである。

さらにはキックボクシングのジムでもお試し体験をしたが、クラスの連中がみな巨体だったためこれは練習にならんと諦めたのである。島国出身の小人、海外の巨漢の脅威に破れたり。体型の小ささゆえの敗北を初めて味わったのである。

しかし柔道は、体型は関係ない。身のこなしようによっては小人が巨漢を投げることだって可能な、まさに小人のための一発逆転スポーツなのである。

そんなわけで、ドバイに数カ所しかない道場を訪れることにした。日本人の有段者がいるという道場を訪れたが、これは惨憺たるものだった。しかも砂漠のど真ん中にあるような人知れない場所にある。

どうみても親に言われてしょうがなしにやってきたような中学生っぽい若者4人。先生らしき人もいるが、生徒1人への指導に夢中になっているのか、他の生徒たちは放置プレイにあっており、ひたすらふにゃらふにゃらと練習をしている。見ててやや哀れになる。そして事前に日本人の先生がいるのか確認したというのに、その姿はなかった。

一方で入会を決めた道場は想像以上だった。道場というよりも倉庫の一角でボクシング、サーキットトレーニング、といった各種の格闘スポーツごとに空間が仕切られている感じだ。

ドバイという土地柄、柔道をやっている人やクラスのレベルは未知数すぎて期待を立てることすら忘れていたが、しっくりくるものがあった。というかかなりまともにやっているという印象だ。

先生は3人。イラク人、カメルーン人、イギリス人とアフリカ、ヨーロッパ、中東の各種地域の先生が揃っている。柔道をやっていたのは10年も前の話なので、「帯の巻き方も忘れちゃった、テヘ」と黒帯らしからぬ発言が口から飛び出てしまった。

しかし10年間眠っていても体は覚えていてくれたようで、先生はしきりに「エクセレント!」、「ビューティフル」などと褒め言葉のシャワーを浴びせてくる。悪い気はしない。そしてここにきて柔道は日本人としての優位性をアピールするには格好のスポーツだと確信し、ナショナリズムが勃興したのである。

日本人としてのアイデンティティをかなぐりすてて2年。ようやく日本人であることが役にたった日がやってきたのだ。ガハハハ。爽快なことこの上なし。

考えてみれば海外で初めて柔道をするので、やたらと外人が技名や挨拶をそのまま日本語で言うのを見て、不謹慎ながら笑いが込み上げてくるものがあった。日本とは程遠い人々なのに「先生に礼!」などといって我々の島国の言葉を話している事実。なんだか不思議であり、愛らしくもある。

さらにクラスの女子が美女すぎるのも困ったものである。顔が整い過ぎているモデル顔の金髪美女やら、愛想のいいフランス人形みたいなフランス人(髪がめちゃくちゃながい)などわざわざ柔道を選んでなんと不憫な・・・

なぜこの道場にしたのか。クラスの質とフィット感は決め手の20%の要素にしかすぎない。残りの80%の決め手となったのは、看板犬ワンコの存在である。誰だかトレーナーの一人が連れてきて、そのワンコは常に受付で所在無さげに愛くるしい体をよこたえている。

ここに来れば、ワンコの愛くるしい姿をおがむことができる。お気に入りの女の子目当てでキャバクラに通うリーマンみたいなものであろう。そう、それほどに私にとってワンコというのは、キャバクラの姉ちゃんとニアリーイコールなのである。

自分多様化プロジェクトがどうなるのかわからない。いつもの三日坊主グセで通わなくなる可能性もある。けれども、柔道というのは単なるスポーツにとどまらず、日本人としてのアイデンティティ損失防止にもなるし、何より優位性を発揮することで、仕事で失われがちな自尊心の向上と安定化につながっている。