そんな仕事の見つけ方があったのか!外国人に聞いた意外な就職法

お国が変われば、文化や習慣ならず仕事の見つけ方も変わる。常々ドバイで働いている人々はどうやって仕事を見つけたのだろうかと疑問に思っていた。そこで「どうやって仕事見つけたの?」と問いかけてみると、驚くほどドバイで働く外国人の仕事の見つけ方はエキセントリックだった。

人事に直接問い合わせること6ヶ月、ようやく仕事をゲットしたインド人

夫婦でインドからやってきたハティーム氏。30代前半とおぼしき大人しそうな風貌に、キラリと左の薬指の指輪がまばゆく輝く。「インドでドバイの職を見つけるのに1年ぐらいかかったんだわ」とドバイでの職探しが当初は難航していたことをこぼす。


ドバイに働きにやってくる外国人の大半は、自国よりも高い給料がお目当だと思われるため、無遠慮に「やはり金が目的でドバイにきたんですかい、旦那?」といやらしく尋ねると、ハティーム氏はやんわりと目的は金といわずに、「まあ、インドもだいぶ発展してきたし、ちょっと冒険してみたかったんだよね」と語る。

ハティーム氏と私は、同じ広告代理店出身だ。同じ代理店とはいえども、インド、日本で地理的には離れていたが、同じグロバールクライアントを担当していたということで、話に花が咲く。やはり国も違えば、同じクライアントでも多少の仕事の違いがあるようで。

こういう時、外資系で働いていてよかったなあと思う。日本だと、「え、どこそれ?」という反応だが、世界に出てみると大概の業界の人間は知っているので便利だったりする。日本で有名、大企業というわれる企業よりも外資系の方がやはり海外では名乗りやすいのである。

ちなみに大きいもの、有名なものに巻かれるというのは日本だけかと思いきや、実はドバイでも同じ模様。やはり名の知れた大きな代理店で働いていた方が、それなりに評価されやすいと感じる。特に広告代理店業界においては。

めでたくして1つ目の就職先をドバイで見つけたハティーム氏だが、2社目はどうだったのかと聞くと、「とにかくな、いろんな会社の人事に直接連絡をとったわけよ。空きそうなポジションありませんか?といってな」。

人事に直接連絡。そんなもの試したところでどうせ返信率は低いだろうと思っていた私にとっては意外な方法だった。そんなんでうまくいくのか・・・?

「今の会社もな、はじめは空いているポジションはありませんといわれたんだが、2ヶ月おきぐらいに定期的に連絡をしたんだ。すると連絡し始めてから6ヶ月後にちょうど人事から経験に見合うポジションが空いたと連絡を受けたんだ」

転職するとなれば、即転職をしたいと考える短期決戦型が多いだろうと思っていた一方で、ハティーム氏はじっくりと人事をなぶりながら仕事を得る長期戦タイプらしい。半年かけて仕事を仕留めるというハティーム氏の執念に脱帽である。しかし、人を探している人事に直接アプローチするのは至極真っ当なことだし、定期的に連絡をとっておけばLinkedinや会社で求人の応募を出す前に人事から連絡を頂けるかもしれない。

Facebookの投稿を見てインターンに応募。そのまま本採用へ。ドバイ育ちのパレスチナ女子

ドバイの学生たちがいかにして仕事を見つけているのかは、気になるところである。日本のような就活はないにしても、どのような方法で就職するのが一般的なのかと考えを巡らせていると、超新星のごとくよいタイミングで転職してきたのが、ドバイ生まれドバイ育ちのパレスチナ人、ファラである。

アバヤは着ていないもののスカーフで髪を多い、全身を服でおおうパレスチナ、ヨルダン近辺でよく見かけるアラブ女子スタイルである。初対面の時はちょっとぎょっとした。街中では見慣れているものの、そんな街中で見かけるコンサバなアラブ女子と一緒に働けるのだろうか、という不安が頭をかすめた。

ドバイ生まれなのになぜパレスチナ人なのか?それには彼女の過去をさかのぼる必要がある。1980年代にパレスチナからレバノンへ移住したというパレスチナ人の両親をもつファラ。レバノン政府では移民に対して、市民権を付与しないという方針だった。

さらに生まれたUAEでも、20年以上継続してUAEに住んでいること、流暢なアラビア語が話せること、犯罪歴がないことといったように制約が多く、またUAEに移住する外国人の増加によりドバイ生まれでも高福祉待遇が与えられるUAEの市民権を得ることは難しいのである。

「私、パレスチナのパスポートを持ったのは数ヶ月前からなんだよね」と明かすファラ(推定25歳)は、生まれてこのかた数ヶ月前までレバノンパスポートはおろか正式なパスポートを持っていなかったのである。

パスポートなくしてどうやって海外にいくのか?と聞くと、パスポートではないがそれに準ずるものがパスポート代わりになっていたらしい。一応海外はいけるが、ビザの取得は大変とのこと。

そんなファラにどうやってドバイでの大学卒業後に仕事を見つけたのかと聞いてみると、「Facebookよ。大学のFacebookページに企業がインターンの募集投稿をしていて、そこでインターンの仕事を見つけたの。それからインターンを経て、その会社で2年ぐらい働いていたってわけ」

その会社は、広告業界の人間なら誰しもが知る会社である。そんなハイクオリティなインターンがFacebookの投稿に転がっているとは。

たった数歳しか年に違いはないのに、なぜか世代間ギャップを感じてしまう。Facebookとはなんとも軽い・・・いや、ソーシャルメディアが盛んなアラブ圏ではむしろ当たり前で世代間というよりもむしろお国の違いなのだろうか。

手当たり次第見知らぬ人に履歴書を送りまくる、当たって砕けろ作戦

これは同僚から聞いた話というよりも、私がドバイにいて日々直面することである。Linkedinではしばしば面識のない人間から申請が来る。その後の行動パターンはだいたい3つに分かれていて、ただ申請してきただけでその後は音沙汰なしの無害な人、そして仕事を紹介してくるヘッドハンター、最後は履歴を送りつけてくる求職者である。

見ず知らずの人間に自分の履歴書をさらけ出してくるとは何事か。こちとら人事でもないし、そのような権利もない。不可解に思い、インド人上司に尋ねたところ、「ああ、そういうのはよくあるよ。人事じゃなくても同じ業界の人であれば、仕事を紹介してれる可能性もあるだろ」。

まあ確かにその通りだが、人事でもヘッドハンターでもない人間に自らの履歴書をさらけ出すのはちょっと勇気がいる。一方で、他人の履歴書を垣間見れるチャンスでもあるので、ここぞとばかりに読み込んでやる。そしてそのままスルーするのだ。

面接官とバトル。ロシア勤務を拒否する、ウクライナ人の海外就活

念願なかって転職に成功したわけではないが、ちょくちょく良さげな仕事があれば応募しているというウクライナ人のヴィクターにその様子を聞いてみた。元ソ連の国だったという個人的な偏見もあり、こいつの仕事ぶりはどうも社会主義的だなと感じることがしばしばある。

若くして結婚をしており、夫婦共働きのためそのままドバイに長らく滞在するのかと思いきや、そんなのおかまいなしにヴィクターは攻めている。最近応募した企業を聞いてみると、GoogleやらUberやらそれはそれは誰もが知る企業である。さらに驚くべきことは、その勤務地がドバイではなく、アイルランドやオランダだということだ。

すでにドバイで働いているということに甘んじることなく、より良い自分が成長できる環境を求めて国境を超えて転職活動をしているのである。すでにドバイで緩んでしまった気概をもう一度締め直さなければならないと感じさせられた。

話を聞くと、アイルランドの仕事が取れそうになったが、直前になり勤務地がロシアのモスクワになったため彼は断固として拒否したそうである。「俺たちの国を侵略していた国なんかで働けるものか。死んでも御免だ。けっ」とロシアへの嫌悪をあらわにする。ちなみに彼はソ連崩壊の直前に生まれたため、出生証明書はソ連形式なのだという。

ヴィクターのよいところは、物事を曖昧にせずはっきりさせ、面倒がらずに自分の仕事環境を周りを巻き込んで変えていけるところである。しかしそんな意見をはっきりというヴィクターの性分なのか、面接官と一戦を交えたこともあるのだとか。

求職者といえば、仕事が欲しいがためについ面接官の発言に同意してしまいがちだが、ヴィクターは違う。規定の事実に対して、自分の見解が正しく、面接官は間違っていると面接中にいってのけ、一悶着を起こす。それでも自分の間違いを認めなかった面接官を不満に思ったのか、その後人事に対しても、これが事実だと言わんばかりに、事実が掲載された証拠をメールで送りつけたのである。

一悶着なんか起こさずにそこはさらっと流しておけば面接パスできたんじゃない?と事なかれ主義の人間としては思ってしまうが、「いくら有名企業であってもそんな間違いを認めない人間と働けるか!そんなやつを雇ったということは、周りの人間もその程度なのだ」とのたわまる。

確かに正論ではあり、自分の意見を突き通す。かっこいい姿ではあるが、時には相手に懐柔してうまくやるのも一つのてなのではないかと思ったりする。

彼らの話を聞くと、Linkedinから応募、会社のサイトから応募、知人の口利き、ヘッドハンターに言いくるめられて応募など今まで私が行ってきた仕事探しが陳腐なものに見えてくる。彼らの話を聞くまではそれらが王道であり、それしかないと思っていたが、人間やりようによってはいろんな方法で仕事をゲットできるチャンスがあるのだ。