アル中、暴力、自傷行為。どこまで落ちていくのだろう?

27年の付き合いだとはいえ、未だに新たな自分に出会うことで驚く。環境や付き合う人間によって化学反応のように、違った反応を見せる自分がいる。

年齢を考えればそこそこ人間ができていていいのでは?と思えば思うほど、そんなにできた人間じゃねえ!と反発して反抗を繰り返す自分がいる。遅れてやってきたヤンキー魂だ。


反抗なんてものは、思春期の特権であって大人になれば自然と消滅していくものだと思っていたけれども今でも私は何かに対して反抗を続けている。それは自分に対してであり、自分が作り出す偏った世界観に対してである。

アル中(寸前)、暴力、自傷行為。殺伐とした言葉が並んでいるけども、これはこの数ヶ月で自分が引き起こしたすべてである。幸いにも社会や周りの人間を傷つけることなく、ひっそりと誰も知らないうちに行われていたのだけども。

酒神バッカスにならい、朝からワイン。休日も暇さえあれば時間関係なく、ワイングラスに手を伸ばす。時間の制限的に、感情のはけ口が少なくなる働く平日は、帰って来れば大いに暴れまくる。その繰り返しが数ヶ月続く。

立っていられなくぐらい飲んで、気づいたら膝に打撲していたことに気づいた翌日は、もうあんなに飲むのはやめようと思っても量は変わらない。飲み方を変えただけである。

はっきりとした原因は分からない。むしろ原因は様々だからこそ、だと思う。「犯人はこいつだ!」と断言はできないけれども、今後数年は人間鎖国をしてプライベートにおけるあらゆる人間関係を拒絶してやろうと決意するほど、同時多発的テロ的に人々に裏切られたという妄想による、人間不信によるところが大きいのだと思う。人生初めての人間不信体験。これほど嬉しくない初体験はない。

裏切られたのは前述した通り妄想であり、あくまで主観的な味方であるので、裁判にかけたら一発で証拠不十分、論がまるでなっていないといって不起訴になることは百も承知である。論理的には理解できても、感情はついてこない。この感情のてなづけができていない時点で自分は未熟なのだと知る。村上春樹の人生相談でいうところの、「容れ物は大人」だけれども中身は子ども。

けれどもそんな生活を続けていくことに、精神的にも体力的にも限界がきたのか次第に事情が変わっていく。

突如としてやってきた穏やかな日。天気の話ではない。天気以上に変わりやすく、天気予報のように予測できないのが精神だ。穏やかな日は穏やかな精神とともに始まる。その日は、さざなみのように精神身体ともに穏やかだった。

それまでは悪夢から目覚め、人間への憎悪とともに目覚める日もあれば、朝から暴力に満ち溢れ起きた瞬間から破壊行動に走ってしまう日もあった。だからこそ余計に何も感じない朝の穏やかな目覚めが久しく感じる。

台風のようにひたすら耐えるしかない時期もあれば、春の陽気に誘われてポカポカの芝生の上を散歩したくなる日もある。それでもやっぱり人生は続くのだ。

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