ようやく日本離れができるようになりました

時というのはやはり浄化作用がある。日本を離れた当初というのは、まだ日本スタイルの生活、習慣、考え方が抜けきれなくて、精神的にも物質的にも「ああ、日本だったらこうだったのに」、「日本のあれが食べたい」などとぬかしていた。

コンビニにいけば大概のものが手頃な値段で手に入り、デパ地下に行けばおいしいスイーツから一人暮らしの台所を彩る惣菜、弁当などが容易に手に入る。そんなあらゆるニーズを満たしてくれる日本を離れると、無性に物足りなくなる。物質的な欠乏を日々目の当たりにすることが、移住先の国への不満ともなる。


日本を離れて、おおよそ1年弱ぐらい、そういった日本への執着が続いていたわけだけども、最近はめっきり日本への郷愁の念や日本食、なんでも手に入る便利な日本が恋しいなあということがめっきり減った。

当初はしきりに日本食が食べたいなあと思っていたが、今では日本食というのは、私にとって日本におけるメキシコ料理のような位置付けで、別にいつも食べたいわけでもないし、たまに気分転換に食べるか、といったぐらいである。家では日本食はいっさい食べない、つくらないし、自炊メシはタイかベトナム料理というのが定番である。

日本食離れができた1つの理由としては、おそらく安心できる日本料理屋をみつけたことだろう。今までは日本に帰らないと食べれない!という恐怖が逆に日本食を渇望させる、もしくは日本に帰りたいという思いを増幅させる要因になっていたのだと思う。

けれども、いったんドバイの日本料理屋で自分の好物がほぼ日本クオリティで食べれるとわかった瞬間、どこか日本食への煩悩が消えてしまったのである。といっても数ヶ月に1回食べるか食べないかのレベルではあるが。

イスラームの国に特有だが、この国では豚肉を食べる機会がほとんどない。中には、豚肉がどうしても食べたい!と切実に豚への執着を訴える人もいるが、私の場合はほとんど豚への執着はない。嫌いではないが、鳥、牛、羊、ラクダで私の肉食生活は満たされているので、そこに豚が欠如したところで打撃を受けることはないのだ。あれば食べるが、あえて切望するほどのものではない。

2つ目の理由として、現地のレストランめぐりをするうちに新たに自分の好物を発見したことである。日本でも食べたことない、このうまい料理はなんなんだ!とその一品に惚れ込み、通い続けるという。

またそれはスーパーに買い物に行く時も同じで、自分のお気に入り商品を見つけては、そればかりを購入して食べるのである。現地に長く住み、そうした自分のお気に入りを見つけ現地の食事、モノとの関係性が強まることで、日本食への執着を弱めていったのである。

3つ目に、移住当初は日本からしこたま持ってきた日用品や食料品であったが、しょせんそういったものは日々の生活ですぐに消費されていく。わざわざ日本クオリティ、自分が使い慣れているモノをそうまでして使うことが個人輸入してまでやることが煩わしくなり、だったらば現地のものですませばいいという結論に至ったのである。

消費、生活、価値観が日本から現地へシフトすることにより、日本への執着はほとんどなくなった。執着がなくなると、ずいぶん生活することが楽になる。