日本にいることがとてつもなく不満だったあの頃、なぜ海外に出たかったのだろう?

海外に長期で住んでみるとそれなりにいやだなあと思うことや不満も出てくる。そんな時なぜ海外に自分は出たかったのだろうとふと思う。そんな時に偶然見つけたのが、海外に移住したくて現状に不満を抱いていた海外移住志望動機が書かれたメモだった。別に面接や審査がある訳でもないので、形式張った形ではないにしてもなぜ自分は日本を出て海外に行きたいのか、という理由がリストアップされていた。

海外就職のため日本を離れた理由というものをあれこれ書いてきたものの、自分のブログをみてはどれもドバイで働き始めてから書かれたものが多く、後付けっぽく、海外に行きたいんだ!という純粋な動機について触れたことはほとんどなかったように思う。


そんなわけでどうして自分は海外に出たかったのか、当時の私の日本にとどまることへの不満を今一度見直し、そうした動機について、実際に海外に出てみた自分は何を思うのかフィードバックしてみたい。海外に出たかった理由は、的外れな妄想から来ていたのか、それとも本当に海外に行ってみる価値があったのだろうか。

う〜ん、とてつもなく海外へ惹かれてしまうこの気持ちはどこからやってくるのだろうか。なにが自分を海外へ駆り立てるのか、という疑問から海外志望リスト始まる。

過去の自分より

日本にいることそれ自体に不満を感じている。

なぜ?

同じ日本国民しかおらず、多様性がない。世界の重要なニュースもダイレクトに伝わってこない。離れた島国で、向こうの大陸で起こっていることは対岸の火事のように感じる。なんだか世界から置いてけぼりを食らった気分になる。だからこそ、大陸のど真ん中で激動のうねりの中に身を置きたい。イスラエル・パレスチナ問題をおっかけてきた人間としては、問題の発生源にいないとだめなんだ、という焦りがある。

現在の自分より

イスラエルにいたって、ドバイにいたって普通に人が安心して生活できる場所から見れば、どんなニュースであれ日本と同じ、対岸の火事だ。結局自分の生活に直接関係ないもの、見えないものへの距離感は、日本にいるそれと変わらない。ニュースだって、自分から能動的にどの媒体をチェックするかどうかの問題。ネットが発達して、世界中のテレビ番組やラジオにだってパソコンからアクセスできるような環境にいるのだから、それは本人次第。

 

過去の自分より

日本はルールが細かく厳しい。意味の分からんルールが多い。仕事ばっかりやってそのまま人生終わりそう。仕事ばかりに時間を使う日本人の意味が分からない。

現在の自分より

もし本当にルール好きで柔軟性の欠ける日本に辟易していたのだとしたら、海外に行くことは正解だったと思う。ドバイは特に歴史が浅いから、みんながまだ自由にやっているところがある。喫煙だって歩きタバコは普通だし、レストランでもバーでもみんなぷかぷかし放題だ。もちろん喫煙できるスペースに限ってだけれども。

日本に比べると人々もものすごく柔軟性がある。時にはルールに従って生きてきた人間からすると、その柔軟性に辟易することもあるけども、それでもずいぶん楽だ。

日本人はとにかく度が過ぎることも我慢できる人が多いみたいだ。満員電車だって、おしくらまんじゅうしながらぎゅううと身体を電車の中に入れ込む。カバンがつぶれようが、見ず知らずの他人と体が密着していようが、耐える。

けれどもドバイの人は、そこそこ満員だったら次の電車を待てばいいと見送るのである。日本だったらあと10人は入れそうなスペースがあったとしても、だ。だから満員電車といってもそれなりの個人スペースがちゃんと確保されている。

満員でも、みんな楽しそうにおしゃべりをしていて、野外フェスみたいな雰囲気だ。電車が急停車をしてこけそうになっても、みんなでおっとっとと体をよろめかせながら「キャー」「危ない危ない」なんていって吉本新喜劇のような軽さがある。無理をして身体を押しつぶすような苦行なんぞ想像を絶する、という感覚の人が多い。

仕事とプライベートに関しては、こちらは明確な線引きがある。仕事は仕事でやり、そのあとは自分の好きなことに時間をあてられる。平日は仕事だけでおわり、週末は仕事の疲れで寝ているだけなんてことはない。平日だって自分の好きなことをやれる日なのだ。音楽やアートイベントにいったり、モールでショッピングしたり仕事以外で視野を広げるための時間が十分にある。

日本にいると仕事に埋没しがちで、自分の趣味や好きなことについて考える余裕がないかもしれないけど、こちらの生活は比較的そういった時間が多くとれる。だからこそいかに自分のプライベート時間を楽しむかということを考える。もちろん仕事だってしっかりやるけども、人生すべてを捧げて、というものではない。あまりにも仕事一筋でがんばりすぎる姿は、こちらの人間からすると、人生を楽しんでいないと思われるから浮くよ。

 

過去の自分より

靴はサンダル、カバンはビニール袋で歩ける国に住みたい。東京のおしゃれ感につかれた。

現在の自分より

時々東京へ帰ると、みんながおしゃれでびっくりする。どうしてそんなに着飾っているの、と。足先から頭のてっぺんまでぬかりなくキメた人々であふれている。時にはその中でおしゃれ合戦に参戦するのも楽しいけど、それが常になるとちょっと疲れる。汗が溶岩のように吹き出す湿気にまみれて暑い日も台風の日もみんなそれなりに着飾っている。

しかも東京はヒール率が高い。どうしてあんなに歩くのにヒールでみなカツカツ歩けるんだろうか。なんだか無理している感がある。そんな集団にあわせて、こちらもヒールで歩き回ってみたけども、足が痛くなるというオチで終わる日々の連続だった。

こちらは通勤や歩く時にはサンダルで、オフィスにいるとき、クライアントに会う時、夜の社交場に出かける時だけヒールをはくというように体に無理のない形で履き分けている人が多い。

服装という点ではドバイは非常に楽だ。サンダルにビニール袋をぶら下げていたってまったく浮かない。いろんな人種がいるから、格好もさまざま。インドの民族衣装着ている人だっているし、絵文字マークに彩られたTシャツを着る不思議なセンスの持ち主もいる。電車に裸足で乗っているやつもいる。スーツを着たリーマンなのにやぶれかけたカバーにつつまれる枕を小脇に抱えて歩くやつだっている。本気でおしゃれするなら夜のバーやレストランに繰り出して、イブニングドレスにクラッチバッグでビシッと決めた欧米人たちの中にまざって、おしゃれに着飾りたい欲望を消費してしまえばいい。

 

過去の自分より

同じ国民が大半、島国という環境にずっといると世界観が狭くなる。同じような価値観、固定された価値観に縛られて生きるのは嫌だ。世界は広くて、いろんな考え方の人がいる訳だし。それを全人生かけて知りたい。

現在の自分より

その意気込みは認める。その点でドバイはいくらかその欲求を満たすのには十分なところだと思う。生活においては毎日出会ったこともない価値観を持つ人々や生態を目にするから、そこそこ刺激がある。

けれども仕事ともなると、結構大変だったりする。仕事においては、日本の画一的な価値観でやっていた方がよかったんじゃないかと思うことさえある。今は渦中にいるから仕事の大変さを高みから楽しむ余裕はない。生活においていろんな価値観の中で生活したいと思うのは分かるが、その生活を成り立たせるのにはやはりある程度の苦味も味わわなければいけないのである。

一方で日本にも面白い価値観はあることはお忘れなく。外から見たら日本人の動きや考え方はものすごく特殊で面白いと思う。

 

日本にいる時、手相からその人となりが分かる不思議な力を持った人(正規の占い師ではないが、それ以上の素質がある)に、「あんたは海外に行った方がいいよ」と言われたことがある。海外にいる今、果たしてそれが正しかったのかと思うこともあるが、それでも日本で不満やごたくを並べていた頃よりかは分かったことが多い。良い、悪いは別にして。