海外生活&海外就職にあこがれてドバイに来たものの・・・

自分の意思で海外に在住している人のブログをのぞいていると、たまに「自分は海外の方が向いているから日本を出てきた」という人がちらほらいる。かくいう私も実はそんな風に思っていた人間だったように思う。

でも海外に住む前から海外の方が向いている、と断言するのは預言者でもない限り至難の技である。であるから、日本は単一民族国家でつまらん!と大沢親分風に断言して、異なる民族と生活した方が刺激があって脳活性化につながる!とうさんくさい脳活性化専門家のごとくわけのわからんごたくを並べていた、というのが本当のところである。


かくしてワクワク海外移住&就職大作戦が始まったわけなのだが、海外移住は良い。けれども海外就職を通じての異文化交流は不愉快でしかない。江戸時代の日本人のように、はなっから黒船追いかえせ!出島作れ!と異文化を恐れて交流を断絶したわけではなく、一応夏目漱石のように海外に出て外国人にまみれながらのドバイで生活&就職を行った上での現状の見解である。

旅行、生活、仕事。状況によって海外への印象は異なる

人として付き合う分には愉快である。異なる文化、日本であありえないような身の上話、刺激に満ちている。島国の人間が、まるでクリスマスのお菓子屋さんでいつもは手に入らないようなお菓子に囲まれて興奮する子供のように、異文化交流に目を輝かせてキラキラするステージである。

このステージに入ると、海外の方が面白い!そしてそんな場所で興奮できる自分に対して錯覚を抱いて自分は海外の方があっているんじゃないかと思い始める。

けれどもそれが仕事に入り込んでくると途端にキラキラが違和感に変わり始める。違和感が募ると不快感になる。

はじめはそのギャップや文化の違いに素直に興奮していたのに、次第にその違いに苦しめられることになる。特に仕事のような効率性を追求し、成果が求められる場では、通常の人間関係でなら許せるなんとなくや適当感が仕事上の付き合いにおいて悩みのタネになる。

文化は違えば違うほど面白みを感じると思っていたが、仕事においてOECD加盟国出身の人間と非加盟国の人間が一致団結して仕事を進めていくのは、非常に困難である。国の経済力なんぞを引き出すつもりはなかったが、国の経済力は国民の教育レベル、働き方、モチベーション、仕事への姿勢をある程度形作るものだと思う。

もはや東大出身とか早慶、MARCHとかいう学歴なんて一つのくくりにできてしまうぐらい、出身国の国の経済力の差はでかいのである。

決して彼らを下に見ているわけではない。ありのままの事実と、自らが進みたい道をすり合わせた時に、果たしてこの環境がもっとも最適なのかとは言い難いのである。

ドバイに住めばもっと中東のことがわかると思っていた

ドバイを選んだ一番の理由は、イスラエルで働けないのならせめて中東に、という浅はかな理由であった。一応ドバイも中東ではあるし、それなりにアラブっぽさは漂っている。なぜ「一応」や「っぽさ」というかといえば、中東諸国に足を何度も運んだ人にとってはピンとくるだろう。

ドバイってえのは、しょせんディズニーランドみたいなもんなんだぜ、という若干の嘲笑が入っているからだ。ディズニーランドのアメリカの西部開拓時代をモチーフにしたテーマランドの1つのようなもので、ホンモノではないけれどもそのように見せかけているという意味だ。

アラビアンナイトとか、アラブの雰囲気なんていうけれどもそれは単にさわりの部分であって核心的ではない。観光客を呼び集めるために、無理やりそうした雰囲気を作り出している、と。安全で楽なところからイスラームやアラブっぽさに触れる場所なのだ。

アラブ首長国連邦はアラブの国ではあるけども、アラビア語なくしても支障がないのがドバイであるし、むしろアラビア語ができることがあまりアドバンテージにはならないだろう。ドバイにいるアラブ人はたいがい英語を流暢に話すし、生活で関わる人間のほとんどは非アラブ諸国出身である。

そのことが多くの外国人が快適に暮らせる国際都市としてのアイデンティティを裏付けていることも事実だが。

さらに中東といっても広い。定義によっては、チュニジアやモロッコといった北アフリカからイランまでを含めて中東という場合もあるし、地理的に中東と呼ばれる場所でもユダヤ教国家のイスラエルだってある。一概には中東=イスラームの国々とはいえない。

さらには、湾岸諸国と呼ばれるアラブ首長国連邦にはじまり、サウジアラビアやカタールというのは、ヨルダン、イラク、シリアといった同じアラブ諸国でありながらもまったく性質が異なる。

石油により繁栄した国家として、世界からちやほやされている湾岸諸国と、常に他国に翻弄され続けてきたイラクやシリアに対し、同じ「中東っぽさ」を求めることには無理があったのだ。経済の発展度合いも違う。同じ公立小学校に通うクラスメイトでありながらも、ちびまるこちゃんでいうところの金持ち花輪くんと庶民のまる子のように取り巻く生活環境が違うのである。

加えて、暴走族もいない、オレオレ詐欺もいない、ひったくりもいない、痴漢もいない、日本以上に平和ボケしてしまいそうな極度の安全っぷりである。ドバイが地理的には中東に位置していることが事実とはいえ、内実としてはイエメンで起きているドンパチやIS(イスラム国)との距離感というのは、日本のそれと同じである。中東の紛争だけが、私の関心ではないけれどもそれでもあまりにもみなが思う中東とドバイの生活の落差に拍子抜けしてしまう。

学者にとってみれば、中東というフィールドは研究する課題が盛りだくさんだというが、この湾岸諸国に限っては石油と部族しかテーマねえし、といった感じで半ば研究フィールドとしては非常につまらない地域に指定されている。だからこそ、そのような研究や課題盛りだくさんな中東という眼鏡を通すと、この湾岸というのはいくぶんか物足りなさを感じる。

海外就職と海外生活は切り分けて考えるべし

最近まであまりこの両者を表裏一体の同じものだと思っていたけれども、切り分けて考えるべきなんじゃないかと思う。それがうまくできていない時期には、仕事の嫌悪をそのままダイレクトにドバイ生活の嫌悪へと移し替えていたし、日本から知人が訪ねてきてドバイ生活もいいじゃないなんていわれると、決してよくはないはずなのだが、まあ仕事もこんな感じでいいものかしらん、と思ったりしていた。

ドバイは生活する分においては便利だし、快適だし、最高である。しかし仕事に関して言えば、こんなものなのか?と物足りなさを感じる。もしかしたら日本でガツガツ働いていた方が楽しかったなあと。

実際に日本で感じていたのはその真逆で、仕事はとても楽しかった。けれども生活において、もっと違う風景が見たいなあと思い日本を飛び出してきたわけである。

生活も充実していて、仕事も満足の行くものができる、そんな場所なんてあるんだろうか、と思いつつもやっぱりこの2つを両立していくのは難しいなあと感じる日々。