一般庶民から見たリアルなドバイ生活

金持ちやセレブだけが住むのがドバイ?外から見ると、ドバイの町はゴージャスさであふれているように見える。けれども実際の生活もキンキラキンなお金持ち生活が待っているのだろうか?

ゴージャスなドバイ、それはそれで事実だけれどもそれ以外にもドバイで暮らしてみると様々な側面が見える。そんなドバイリアルライフをお伝えしたい。

非日常が日常になるドバイ

ドバイではなぜか店に入ると、「お客様」ではなく、「マダム」や「サー」と呼ばれる。それだけでも、気分上々だ。別に身分が変わったわけでもないのに、呼び方だけでこうもこちらの自尊心をくすぐられるとは。

さらにドバイがいいのは、高級感が手軽に味わえることである。レストランにしかり、休日の過ごし方にしかり、日本ではたまにの贅沢みたいなことが簡単にできてしまう。

ラグジュアリー感をうたっているだけあって、ドバイには高級感漂うセンスのいいレストランが軒を連ねている。東京であれば、わざわざ西麻布や六本木、青山に出向かねばいけないようなレストランでもドバイでは、私が住む場所からであれば徒歩10分ぐらいの場所にわんさかある。


雰囲気抜群のトルコレストランRuyaの公式サイトより

しかもそれらは決して恋人だけの特別な場所というわけでもない。気軽に一人でもいけるし、友達ともわいわいできる。おめかしなんてしなくたっていい。非日常空間ではなく、日常なのだ。


ドバイの夜景を楽しめるVii。Nationalより引用

ホテルのラウンジや眺めのいいバーだって日常だ。日本に帰国した時、新宿のホテルのラウンジで飲んでいたが、いかにもめかしこんだ女子やカップルたちとの温度差を感じたぐらいだ。一体何をもってここが特別感溢れるところになるのだろうと・・・

たまにはホテルのブッフェで贅沢しようなんていうのも、ドバイでは日常茶飯事のことである。ドバイの各種ホテルに入っているレストランではブランチサービスというものがあり、休日のお昼には素敵なレストランにて、定価でブッフェが食べ放題なんていうのがざらである。ドバイ市民はそうしたブランチにこぞってでかけて、たらふくいいものを食べているのである。

車にしても、日本ではひたすらBMWやベンツというのが高級車の代名詞として信じ込まされていたが(いやそれは事実なのだろうけども)、ドバイにいるとレクサスやベンツというのはもはや普通車という感覚になってしまう。レクサスにいたってはウーバーで使用されるぐらいのものだし、ドバイのパトカーはベンツはもちろんフェラーリ、ブガッティ、ランボルギーニを使用しているケースもある。


Emirates24/7より引用

ベントレーやフェラーリ、ランボルギーニといったさらなる高級車を頻繁に目にすることによって、大幅にBMW、ベンツヘの高級車としての地位が私の中で下落してしまったのである。そして車なんぞにまったく興味のなかった私が、ベントレーがいいなあなんて無駄に憧れてしまうようになるのである。


UAE人がよく乗り回しているタイプのベンツGクラス。市街を出れば30分ほどで砂漠に気軽に行ける環境なので、この地域ではこの手の車が好まれる。ちなみに車のナンバープレートの桁数が高いほど、プレート自体の価格が高いため金持ちの象徴でもある。大概2桁や1桁の番号プレートはアラブ首長国連邦の皇族たちが乗っているといわれている。

ちなみにドバイのムハンマド市長が愛用する車もこのタイプでプレート番号は1。下記の動画は市長の愛車を紹介したもの。市長はこのように街中に頻繁に出没するため、運がよければ見ることができるかもしれない。

華麗なる生活の裏に・・・人をダメにするドバイ

ドバイはある意味で人をダメにしてしまうような生活環境がある。はじめは抵抗があるが、それさえ乗り越えればあっという間にラクチンな生活が待っている。初期の心の葛藤さえクリアできれば、あとは怠惰な生活に突入するとも言える。

ドバイでは何かにつけて、本来であれば自分でやるべきことをやってくれるサービスや人々が存在する。たとえば、掃除はクリーニングサービスというものがあり、1回につき1,000円ほどで業者からやってきた人が家の掃除をやってくれる。コーヒーが飲みたい、ご飯が食べたいというときには、オフィスでも家でも電話一本で、配達してくれる。コンビニでものが買いたいと思えば、タバコだって水だって、コンビニに電話して持ってきてもらう、というのが当たり前になっている。

つまり自分が動かなくても、必要なものは電話一本で手に入るのである。食料であれ、出来合いの食事であれ、コーヒー1杯であれ。自ら自転車をこいで食料を調達したり、デリバリーさえ頼めば買い物をしたあと重い荷物を自分でもつ必要すらないのだ。

また、お手伝いさんやベビーシッターを雇うのはごく自然の習慣であり、アラブ人家族のような大家族の場合は必ずベビーシッターが一緒に同行しているケースが多い。子どもの遊び相手もしてくれるし、犬の散歩ですら他人まかせにできてしまうのである。

どう見てもチワワやシーズーなんて飼っていそうにないフィリピン人が、散歩をしている姿はこっけいである。犬にも同情したい。おまえの飼い主は、散歩が面倒だからといって他人に押し付けるようなやつなんだぞ、と。散歩は飼い主と犬との絆を深める大事な時間でもあるのに、それを他人まかせにするとは、都合よく犬を飼っている人間にしか見えない。

なんでも自分でやっている日本人からすると、はじめこそ抵抗はあるが一度この生活に慣れてしまうともはや後戻りはできない。むしろなぜそんなことを自分でやらなければならないのだ。やってもらって当たり前だろう、という気分にすらなる。

自分で動かないようになると、その先に待っているのは深刻な運動不足である。加えてドバイは車社会であるから、ドバイ生活では町を歩くという行為がほとんど削がれている。唯一歩くといえば、巨大なモールをうろうろする時ぐらいである。

そんなもんだからアラブ首長国連邦は、世界的に見ても肥満率が高くWHOの調査によると国民の37.2%が肥満とされ、肥満率では世界で第4位にランクインしている。ちなみに同調査での日本の肥満率は3.3%である。

そこで人々は何を始めるかというと、ジムにいくのである。ドバイの高層マンションのほとんどは、プール、ジム、サウナが完備されているのが普通だ。そこに足しげく通いながら日々の運動不足解消につとめる。便利さを十分に享受できる国ではあるけども、便利すぎても何かが欠けてしまうようだ。

天気の話をしすぎな日本人

振り返ってみると日本人の会話というのは、ほとんど天気に始まり天気に終わるような気がする。四季があり、自然災害も多い島国では1年に渡り天候や自然災害の話で盛り上がる。

ニュースだって、本来であればお天気コーナーは明日の天気と気温を伝えてささっと済ませればいいものの、今日は傘を持っていた方がいいですね、とか厚手のコートを来た方がいいでしょうといった一言アドバイスを欠かさない。

我々も今日は雨だから仕事に行きたくないな、とか台風だから電車がとまっているだろうかといった天気のことを考えるのが日常茶飯事だ。むしろそれが大部分を占めているといってもいい。

しかしドバイは年中を通してピーカンである。天気は晴れ、暑い、以上である。雨模様を気にする必要もないし、天気にあわせて服装を考える必要もない。圧倒的に楽なのである。


雨が年に数回しか降らないドバイは、11月から2月以外はつねにビーチは人であふれている。

雨だから、寒いから外にでるのが億劫なんてものはおくびにも考えない。そんな天気に左右されてきた生活からドバイにやってくると、なんと素晴らしいことか。毎日晴れ!夏服のみで財布にも優しい。下手にブーツやら手袋、ストッキングなどをこしらえる必要がない。

暑すぎるのはたまに きずだが、毎日ピーカンで気分も晴れ晴れということを考えれば、ありがたい話である。

このようにドバイでは、夏には人間が生きていくのにはいささか厳しい環境になるとはいえ、ドバイで働く外国人が快適に過ごせるような工夫がこらしてある。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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