ドバイ就職の理想と現実。どうしてそんなにドバイで働きたいんですか?

誰にだって理想はある。けれども海外就職に限らず、理想と現実が一致することはほとんどない。嬉しいギャップもあれば、悲しいギャップもある。時には絶望するほどのギャップにすら直面する。

海外(ドバイ)就職に抱いた理想や期待とは一体何だったのだろうか。これから海外(ドバイ)就職にする人に、現実を突きつけるという意は決していない。そもそも現実の方が辛い、悲しいということではないので。けれども最近驚いたことに、ドバイに就職したいんです、といった声をいただくので参考になればと思う。


ドバイはインターナショナルな環境だと思っていた

テレビの言うことをなんでも鵜呑みにするんじゃない。分かっちゃあいるけれども、情報があまりないドバイなんかは、その分メディアの声が大きく聞こえる。

世界に住む現地妻を紹介するテレビ番組で、ドバイの現地妻を訪ねた回では、モールや道端の人々に訪ね「Youはどこから来たの?」というインタビューを行っていた。尋ねる人ごとにまったく違う国名が出てくるので、番組の結論としてはドバイは世界中から人が集まるインターナショナルな都市である、という文句で締めくくられていた。

それは間違っていない。ドバイには200国籍以上の人間が集まるコスモポリタンな都市であると言われている。ちなみに世界の国数は193カ国ではと思われる人もいるかもしれないが、これは国連に加盟している国の数である。パレスチナやソマリランド、台湾などは含まれていない。基準によっては最多で324カ国にもなるのだ。

私の会社のチーム11人の出身国は、レバノン、フランス、南アフリカ、ポルトガル、ウクライナ、インド、中国で計8カ国とほとんどかぶりがない。ならば全くもってインターナショナルじゃないかと言われるとそうでもある。100人ほどが働く会社全体だけでみれば、従業員の出身地は30カ国はゆうに超えそうである。

しかし、私の会社もそうだが生活する範囲内で見ると、圧倒的に多いのはアラブ人とインド人である。アラブ人といっても90%以上はレバノン人であり、そのほかはアラブ首長国連邦、ヨルダン、エジプト、モロッコなどで構成されている。

フィリピン人は会社でも、街中でも必ずどこでも出没するが、ホワイトカラー職だけでみると絶対数は少ない。けれどもドバイの人々の生活は、フィリピンの人々なくしては成り立たないであろうというほど我々はフィリピン人に過度に依存しているのである。

レバノン人は、ほかのアラブ諸国と比べると圧倒的に教育レベルも高く、経済レベルも高かったらしいのだが、何せ自国で仕事が見つからない。ということでこのドバイ流れ着いてのさばっているわけである。

ドバイにおいては、UAE人がもっとも力があるように思えるが、しかしビジネス、特にメディア業界においてはレバノン人が牛耳っている傾向がある。できるレバノン人がドバイという新興都市にやってきて、存分にそのパワーを振りかざしているのである。発展途上の都市を我々がリードしてやっているのだ、という意すら感じられる。

たちの悪いことに、こうした力を握るアラブ人たちは何よりもコネ社会である。であるから実力というよりも、口利きでこいつを雇おうといったことがよくある。それを見て我々のような少数派は、実力も経験も見合っていないのに、なんでこいつがマネージャーなのだ?としばしば愚痴をこぼすのである。

一方で、インド人も割合こそ多いがレバノン人のようなしがらみ、というか害があまりないのが特徴である。唯一あるとすれば、そこかしこでインド人臭をかぐハメになるということぐらいである。しかし押しの強いレバノン人たちと働くことを考えれば、かわいいものにすぎない。

数値上はコスモポリタンではあるが、市民の大半はアラブ系、インド、フィリピンが占めているというのが実感である。

ドバイだったらそこそこまともな仕事ができると思っていた

中東とはいえ、求人票を見る限り問われるスキルや経験というのは日本のものと変わりがない。さらに新興都市で、そこそこの発展都市に見えたものだから、ある程度日本と同じ感覚で仕事ができると思っていた。同じ感覚というのは、多文化な環境で働くということではなく仕事の流れや求められる成果、においてである。

けれどもあまりにも多くの大陸や国から人々が集まりすぎたためか、みながぶつかりあっていてなかなか思うようにならない、というのが現実である。これは日本人だからということに限らず、みな自国でやってきたその国に好ましいと思われる仕事のやり方や正しいと思う方向性を持っている。それが一気にぶつかるものだから、なかなか前に進まない。

さらに上述した通り、コネ社会のせいなのか役職とスキルが見合っていないポンコツも大勢いるので、まともな仕事をしたくても辟易させられることが多々ある。

こんな問題、ビジネス書の一冊でも読めばすぐ解決できるようなもんだろ、と思ってもそうした習慣がないのか知らないが、延々と話してばかりで他人ばかりを責めて言い訳をする人間も少なくないので、次へ進むのにやたらと時間がかかる。別に他人を責めることが悪いわけではない(寡黙な私はよく槍玉にあげられる格好のカモなのである)が、責めることに時間と労力を使うなら、解決法を考えることの方がよっぽど建設的であると私は考えている。

職種にもよるが、少なくとも私のケースでは若干のダウンキャリア感は否めない。むしろ本気でキャリアップするのであれば、日本の方がずっとまともだし、海外ならば欧米にいくぐらいであった方がよいと思う。

不思議なのは、日本ではベンチャーやらスタートアップやらでガツガツ働いてスキルアップしたい、とか格好だけでもビジネス書は読んでみようという人々がいたように思うが、こちらではほとんど出会ったことがない。まずビジネス書なんて読むやつは皆無(そもそも本屋が少ない。本屋にいってもビジネス書があるわけではない)だし、もっとスキルアップして上に行きたいというガツガツ感を見せる人がいない。

給料を上げるためなら転職すればいい、という考えが一般的だからなのかもしれないが、それにしてももっと自分のキャリアをこうしていきたいと考えているやつがいてもいいんじゃないかと思う。その辺はちと寂しい。

海外で働いたらもっとすごくなれると思っていた

単一民族社会の島国に住むわれわれは夢を見る。違う国や文化で働けば何か素晴らしいスキルが身につくんじゃないかと。これは根拠もなく、留学していたら、帰国子女だったら海外慣れしていそうとかいう理由で、グローバル人材に認定されたり(主に新卒)、TOEICという紙切れスキルで英語ができるやつに任命されたりといった、海外に関わる=何かしらのプラスになるという意識が無意識にあったからじゃないだろうか。

だからちょっと海外で働けば、仕事に役立つすごいスキルを得られるんじゃないかという妄想をし始める。かつての私も、海外での広告運用をすればもっとすごい見識が得られるんじゃないかと期待していた。

しかし今冷静になって考えてみれば、その湾岸諸国や世界中をターゲットにした広告運用をしたところで一体何が変わったのだろうかということである。もちろん各国の広告マーケットを知ったり、多言語での広告運用はそれなりの気づきや見識というものは得たけれども、それはへえへえというトリビアレベルで、グローバルキャンペーンを運用した、プランしたということ自体は、仕事のスキルを上げる上であまり評価されることではないのである。

仮に評価されるとすれば、どのようにローカルチームと連携してプロジェクトを管理、成功に導いたかということであり、どの国をターゲットにしたかというよりプロジェクトが成功したのか、大金はたいたプロジェクトから次に活かせるラーニングを得たか、という点だろう。

さらに言えば、ドバイで働いていた、いろんな国の人と働いていましたというのはあくまでも自己満レベルでいっさいスキルや経験を上げる要素にはなり得ないということである。求人票にだってそんなことは問われないのである。

自己満のために、多文化な国、好きな国で働くのは構わないけれどもそれが仕事のキャリアアップになるかというと必ずしもそうではない。少なくとも私の仕事では。その辺をきちんと分けておくべきだったのだ。

給料がインフレ状態になった

最後は望みの持てるいい話で締めくくろうと思う。やりたい仕事がやれて、充実していればということが優先だったので、給料のことはあまり考えていなかった。それでもドバイにやってきてから、軒並み日本であれば数年、いや何十年かかりそうな歩合で手取りが上がっていったのである。所得税が発生していないことも踏まえても、額そのものは高くなっている。

もちろんその分物価も高くなるが、それでも日本で実家暮らししながら働いていた時よりもふんだんに使えるマネーが手元に落ちてくるわけである。

その上、ドバイ(のみに限らないだろうが)は給料を上げる方法が昇進ではなく、転職によりという手法が浸透している。転職回数が多かったり、前職で働いた期間が短期であろうが向こうはほとんどおかまいなしである。理由も特に聞かない。ただ、役職に見合うスキルや経験があるのかのみを一点集中で審査されるだけである。その点は非常に合理的かつ、シンプルでいい。

別にドバイじゃなくたっていい

仕事だけを考えれば、別にドバイならずとも他に適した場所があっただろうと今は思う。それに、地域性が問われる仕事でなければ別に場所は海外であれ日本であれあまり違いはなかったと思う。キャリアアップにおいては、どの国で働くよりかは誰とどう働くかの方がめっぽう重要だったりするのではないかと思う。