シェアハウス生活遍歴とその行方。他人と暮らすことへの挑戦。

「他人と暮らすことにどうしても我慢ならなくなるんです。はじめこそはフレンドリーに明るく接することができるんですけど、どうしても数ヶ月すると拒絶反応がでてきてしまって・・・他人に対してマイナスな感情しか持てなくなるんです」


「そうした拒絶反応は暮らす人間の人数やプライベート空間の広さ、家の形態などなどに由来するものだと思っていたので、様々な実験を重ねてみたんです。」

「同じような世代の働く女子たちと一軒家に7人で暮らすことから始まり、生活リズムが異なる3人で暮らして、比較的家で一人で過ごせる時間を多く持てたり。そして現在は共同生活の最小単位、2人で暮らし。人数は最小だけれどもお互いをけっこう近くに感じるぐらいの規模の家なんです。」

「でも、最終的にわかっちゃったんですよね。家の立地や一緒に生活する人間の人数や相性じゃなくて、自分は他人と生活するのが向いていない人間なんだって」

一通り今までの他人との共同生活遍歴を述べた後、

「う〜ん、これはどうやら他人と暮らせない症候群のようですね。特にあなたのような独身のアラサー女子にはよくあることです。」

という診断を受けた。

何が嫌だって、一番嫌なのは他人じゃなくて自分なのだ。必要以上に、時には不気味なまでに気を使い、自分の生活ペースの中に他人の行動タイムテーブルが入り込んでくる。

他人との共同生活が始まるとまずはそいつの行動パターンをインストールすることから始める。何時ぐらいに仕事にでかけるのか、何時ぐらいに帰宅し料理をするのか。外食派なのか自炊派なのか。休日は家で過ごす派なのか、アウトドア派なのか。

そのうちに交友関係の広さも見えてくる。週末や夜のお出かけが頻繁なほど、外交的な人間。お家にいることが多い人間は私とちょっと気が合いそうな内向的人間。

そうした一通りのプロファイルを自動作成し、私の行動スケジュールと擦り合わせていく。外交的人間が多い場合には、だいたい週末は飲み会で昼近くまで寝ているだろう。であるから、朝早起きして行動するのが吉。他人と関わるのが嫌いなわけじゃないけど、他人と顔を合わせたくない時もある。人がいない方がのびのびやれる子なのだ。

ルームメイトは8時ぐらいに帰宅して、料理を作り始めるだろうからそれまでに早く帰って晩御飯の支度をしなくちゃ。だから今日は気ままに寄り道したくても家に直行だ。といった具合に。

う〜ん、こうやって書いているだけでも嫌になってきた。というか自分こそが絶対一緒には住みたくない人間だなと我ながらに思う。こんなプロファイリングしてくる不気味な他人とは、絶対住みたくない。

他人との生活することのハードル

友達としてだったらいいやつなのに・・・けれども寝起き、疲れている時、気を抜いている時、排泄、料理、食事、部屋着など外では見せないリアリティがふんだんに埋め込まれた共同生活。

他人の驚くべき姿や価値観に幻滅することもあれば、こちらもそうした他人には見せないリアリティをスケルトンハウスで生活するがごとくさらすハメになるので、気疲れすることもある。

そのほかにもキッチン、冷蔵庫、洗濯機の使い方などなどささいなルールや価値観が自分と異なるほどストレスになる。違うことは別に構わない。けれどもその違いを理解した上で、どう共同生活を運営していくか、という技術が徹底的に私には欠けているのである。これはもはや性分だと決めつけて、その技術の習得すら怠る自分もいる。

この点が一生一人で暮らしていくか、そうでないかの分かれ目になるのだろう。たとえ他人と暮らせない症候群になったとしても、ある程度の適合能力や調整力をつけていけば、他人と暮らせる。けれどもそれに前向きになれない人間は、一体どこへ流れ着くのだろう。

他人との生活をあきらめない、は可能か?

それでも他人と生活することをあきらめたくない自分もいる。他人と暮らせない。古代から共同体として群れをなして生活をしてきた人間の生活形態を考えれば、自分は人間としての何かが欠落しているのではないかとさえ思う。

そして社会的には寂しい人間、社会不適応者というレッテルを貼られかねない。別に特定の誰かが「他人と住めないやつはどうかしてるぜ」といったわけではないけれども、「ああ、他人と暮らせないお一人様なのね。かわいそうに」という哀れみはそこはかとなく感じる。

とはいえ他人との共同生活不適応者という烙印を押されてこのまま黙っとくわけにはいかない。世間にはごまんといる同じく不適応者もの同士で固まり、「他人と暮らせないのがなんなんだ。共同生活のバカヤロー!」なんてシュプレヒコールを起こしていっそのこと開き直りたい。