占いに金をつぎ込むなら神社のおみくじを信じた方がいい!おみくじ信者のつぶやき

「おみくじ」を引くためにはるばるドバイから舞い戻り、宮島へ行くことにした。これを自信満々で他人に語ると、苦笑が起こる。「おみくじを引くために宮島行くって・・・」という意味なのだろう。

「観光するために宮島にいく」というものが安定して80点以上を獲得できる、みんなが納得いく答えなのだろう。けれどもこちらは大真面目だ。


未来を見通したい!ならば占いよりもおみくじだ

イスラーム教であれば、モスクで神との対話をする。一方でクリスチャンは教会へ行き聖書なるものを読んで神の言葉を授かる。

けれどもそうした宗教を持たない、都合よく無宗教を名乗る人間にとっては、神社の「おみくじ」というのは唯一自分にとって神から授かる、しかも自分だけにパーソナライズドされた言葉を聞く機会だと私は捉えている。

ちなみに寺でもおみくじは引けるが、仏教式の葬式で高額料金をふんだくるという現実に愕然としたため距離を置いている。と同時に無宗教を語る日本人たちが、盲目的に仏教式の葬式を行い、「なまんだあぶ」なんて言う姿にもなんだかなあと思う。

だから私は、「おみくじ」を単なるその時の運試しをする「くじ」だとは捉えない。あくまで長期にわたり自分の方向性やあり方を見直す大事な手がかりだと思っている。

古代においては後継者や国政を決めるため、戦国時代には武将が戦の日や戦いを決める方法として用いられたという例もあるそうで、おみくじはいわば未来を見通すための占い的要素も含んでいた。

その意味で言えば、30分3000円といったうさんくさい占い師に見てもらうよりも、100円で神の声を聞けるとはなんとも安上がりではないか。

二等市民の無宗教者にはなりたくない

安上がりで、食事制限や服装といった厳しい戒律もない。海外で無宗教の人間は見下されるため、逃げ込み寺としてのライトな神道信者。

神道は無宗教の人間が、仕方なくもしくはどうしても何かにすがりつきたくなる時に非常に便利なものなのである。

熱心に神道を信じているわけではないけれども、海外で神を信じる敬虔な奴らを見ていると自分も何か人の人知を超越するものが欲しくなるのである。

「自分は無宗教だい」なんて海外では言っていたけど、無宗教は宗教を持つ人間からすると二等市民とみなされるということを聞いてからは、仮面神道信者をよそおってきた。けれどもフリでやっていると、人間マジになってしまうらしい。

おみくじの信憑性はいかほど?

それほどおみくじに入れ込むほどだから、盲目的におみくじの信憑性の高さを評価している、と思われるかもしれない。けれども未来のことは人間にはわからないので、とりあえず差し出されたおみくじという名の神の言葉を信じるしかないのだ。

そんな盲目さを取り除いたとしても、おみくじはそこそこ当たっていると思う。

中には、「え、そんなことまでご存知だったんですか?」と文春砲すれすれのお告げもある。辛く先が見えないときでも、おみくじが「おまえは今は辛抱の時期じゃ」なんてのたまわると、ストンと腑に落ちる。むしろそういう冬の時期なんだなあと捉えることができる。

未来に楽観的だったときは、常に大吉オンパレードだったが、苦しいなつらいなあと思う時期には吉しかでない。おみくじも「まあ、待てや。今の調子で行けば未来は明るいぞ」的な調子である。

とここまで私のバイオリズムを読まれたら信じるしかないだろう。