2人暮らしからの学び:だから我々は他人にイラつくのだ

必ず時間通りに行かなければならない時に限っての電車の遅延。楽しみにしていたはず約束がドタキャン。仕事を同僚に頼んだのに全く見当違いのものが出てくる。こうした場面に遭遇した時、誰もが他者に対してイラつきを覚えたことがあるはずだ。

そんな時我々は、怒れる人々になる。


なぜ私は怒れるのか?

今ささやかな怒りが私を支配している。もしくは不満だろうか。対象はシェアハウスで2人暮らし中の相手、永沢くんだ。2人暮らしというシチュエーションは、必然的に結婚や同棲というものを連想させる。

だからささやかな不満を抱えながら、ある日突然妻が夫に離婚を言い渡す、妻の気持ちを想像する。こうした不満が積み重なった末に、妻は離婚を言い渡すのだなと。さえない独身女の戯言である。

そんなつまらない妄想をする、私の怒りはささいなことから始まる。いまだ永沢くんが、家主に無断で長期に渡り両親を泊めた(*外部の人間を泊める場合には家主の許可が必要)ことに対しての反省、もしくは謝罪がないからだ。

この一件を気に楽しくなるはずだった2人暮らしも、急速にそのワクワク感がしぼみ今では冷え切った関係に至っている。というかこの場合は私が勝手に冷戦状態に持ち込んだわけなのだが。

いったんこうなってしまうと、今まで気にならなかったささいなことでも気に食わなくなってしまう。共有の洗濯機に洗いもしない洗濯物を1週間放置していたり、靴の片付け方がだらしない、とか。

ルームメイトの両親が長らくに渡り滞在するという話をしても、いまいち他人から共感を得ることができない。そういう状況が日常的に起こり得ないからだろうが、だからこそ「義両親との同居」という至極わかりやすい例を用い、そのストレス度がどれだけのものかを説明する。

現実と期待のギャップから怒りが発生する

なぜ怒れるのか。理由は私の狭量さにもあるだろうが、一番は他人への期待と現実のギャップだろう。

永沢くんは謝るべきことをしたのだから、なんらかの反省の色をみせるべきであるというのが私の期待であるとする。するとそうした期待が叶わない場合、そのギャップが永沢くんへの不毛な怒りや不満に変換される。

人は他人への期待と現実が異なる時に怒りを感じものらしい。

けれどもそもそもそんな期待などハナからしなければ、この期待と現実のギャップに怒れることもないのである。

電車のケースであれば、いつもは定時通りに動いているのにという期待に対し、実際は遅延している。遅延することもある、もしくは時間通りに来ることが世界的に見て異例であるということが前提にあり、定時運行を期待しなければ遅延に対して怒る必要はないのである。あらかじめ早めの電車に乗るといったことをしていたであろう。

約束のドタキャンも、約束をしたのだから相手がやってくるのは当然という期待を投げかける。けれどもその期待が叶わなかった時、我々は期待を裏切った相手に対して怒りを覚える。

けれどもアラブ文化のように、どんなに約束しても最終的には神の思し召しなので、必ずしも相手が来ることを期待しなければ予想外のドタキャンでもうまく流せる。

ギャップばかりの海外生活で学んだ処世術

とりわけなんでも言語化し、日本人のように相手の期待や要望を汲み取ることがない文化で生活をしていると、日本人にとっては期待と現実に怒れるのは日常茶飯事である。

海外でタクシーにのったら途中でガソリンスタンドにより、給油をしたタクシー運転手はありえない。そんな体験を海外でしたとある芸能人が息巻いて語っていた。タクシーに乗れば、目的地まで直行するのがタクシーだろう、と期待するからである。海外であれば予想外のこともおこるし、道を水牛や羊が横断している間にもメーターがあがることがある。

日本人であるがゆえ、日本人としての期待を外人にしてしまうことは多々あった。特に海外生活初期においては。もちろんある程度その期待値を下げようと努力はしていたが、これがなかなか難しい。

逆に言えば、期待をするということは、同時に自分もまた期待にそって行動をしようと思う所以にもなる。その期待が、いらぬプレッシャーを与えたり、時には人をがんじがらめにすることもある。

つまり相手に期待することをやめれば、相手のどんな行動だって許せるし流せる。かつ自分もまた期待にそって行動しなければならないという意識から解放されるのである。

相手が時間通りに来ることを期待しない。そうすれば自分もまた時間通りにいかなければというプレッシャーから逃れることができる。

いわずともわかるであろうという、美徳にして苦痛にもなりうる文化を背負ったわれわれ日本人というのは、特にこの期待の裏切りから来る不満を抱えがちなのではないかと思う。さらに、言わずが美徳という文化の2重苦により、その不満を吐き出すことができない。不満とプレッシャーは高まるばかりである。

思い返せば海外生活での辛さの要因は、ここにあったといえるかもしれない。

そんな時私が密かに持ち出すようにしているまじないがある。

「外人と話す時は火星人と話していると思え」

である。おおげさかもしれないが、極東島国の出身者の文化や期待などは誰も知る由がない。それと同時にわれわれも大陸文化などしったこっちゃないのである。

であるから、1つでも多くの言語を交わすことによってそのギャップを埋めていくという方法である。「言わずが美徳」は逆に外国人にとっては不信を生むことになる。

だからこそ期待をせず、不満を抱えず。不満を万が一にでも抱えてしまったら言語化して、自分の気持ちを相手に渡さなければいけないと思うのである。

「ねえ、今度から長期で誰かを泊める時はあらかじめ言ってね」

その言葉を明日、永沢くんに渡そうと思う。