あくまで旅行ではなく、酒の爆買いついでの寄り道先として選定されたバーレーン。
ドバイに来た当初はぜひとも巡りたいと思っていた。しかし、あれよこれよという間に、「まっドバイみたいなもんだろ」という雑なラベルをつけられることで、気がつけば興味の対象外となっていた。人間の怠惰というものは恐ろしいものである。
バーレーンの旅行情報を探しても、ガイドブックを見ても日本の山奥の田舎にある観光名所と同じぐらいのレベルである。いや、むしろバーレーンの方がやや分が悪い。
そんなところであるから、誰もいかないし、情報もないので行く必要もないのだろう。私もまあ「ドバイと同じようなもん(湾岸諸国はどこも同じようなもん)」としか思っていなかったので特に興味も持たず、どこで時間を潰すかすら決めていなかった。
だからたった数時間でも5ディナール(日本で約1,500円)というビザ代を支払ってでも入国する価値があるのかという値踏みをしていた。5ディナールも払ってドバイと同じならば空港で時間をつぶしていた方がましなのではと。
しかし結局来てみると、やっぱり外に出てみたいという好奇心に駆られてビザ代を支払うことに。
石油王がタクシーの運ちゃん!?
空港からタクシー乗り場へ行くと、運ちゃんはみなジモティーばかりである。ドバイの運ちゃんといえば、パキスタンやインド系の人ばかり。そんな肉体労働なんかしないアラブ人が、バーレーンではなんと運ちゃんをやっているというなんとも不思議な光景。
このギャップにキュン!
日本であれば、石油王とみなされる格好をしているアラブ人がタクシーの運ちゃんをしているわけである。ちなみに日本でいうアラブ石油王といえば以下のようなイメージらしい。
おいおい、すでにドバイと全然ちげーじゃないの。私はとりあえずイマーム(アラビア語で宗教的な指導者という意味)のような風貌のアラブじいちゃんのタクシーに乗り込んだ。
イマームのイメージ画 (Aberfoyle International Securityより参照)
通称イマームタクシーである。ちなみにタクシーはメーター制で、空港発だと2ディナール余計に加算される。
発車してから10分ほどシートベルトをしていない時になるアラームが鳴りっぱなしだった。なぜこの音が?としばらく不思議に思っていたら、音の根源はシートベルトをしていないイマームだった。
運ちゃんなのに10分もシートベルトなしで運転するとは。イマームはどこか抜けているらしい。特に行き先も決めていないので、適当に「街の中心地。スークあたりでええわ」とオーダー。
70歳ぐらいの運ちゃんは英語がそこそこ堪能である。一体こんなアラブじいちゃんがどこで英語を取得したのか。聞いてみると、
「おいらの時代は英語の授業があんまりなくてよお。あっても2週間に1回程度だぜ。だから実践英語は、運ちゃんをやり始めて客と会話するうちに話せるようになったわけ」
らしい。というわけで、ゴールドスークがあるマナーマの中心地へ向かう。空港から中心地までは7ディナール(2,100円)ほどで20分ほどで到着。
リトルインドと称された一角に位置するゴールドスーク。
ゴールドスークは確かにドバイのものと比べれば規模は小さい。
ヘタレ感漂う、けれども人間臭いマナマのスーク
GCC諸国ではおなじみの男性の伝統服、カンドゥーラを来た運ちゃんがタクシーを洗車しているというドバイではありえない光景に興奮。写真を撮ろうとしたが、運ちゃんに気づかれ未遂に終わる。
特に他のサイトではスークについてもあまり記述されていないし、言っても「まあ、他のアラブ諸国にあるようなスークだった」ぐらいで終わっているので特に期待はしなかった。
実際観光客を出迎える用の客人向けスークは、メイン通りだというのにシャッター街のようになっておりカフェの横に靴ショップ、そして空き店舗といったようにどうもまとまりがない。
どうやらドバイのように美しく観光地化しようとしたものの、どこか途中で頓挫した感じだ。それにしても頓挫するのが早すぎないか?
けれどもフツフツと湧き上がる高揚心に私は早々と気づいていた。
「おいおい、誰だよドバイと同じとか言ったやつ。意外におもしれーぞ、ココ」
そう。スークはスークでもドバイの観光向けにつくられたうさんくさいスークとは違う。人の生活があり、人の息遣いが感じられる自然のあるスークなのだ。
趣のある店構え。しかし中は外見と全く関係のない宝石店
愛くるしい剥製がお出迎え
かなり古い建物が多い。ドバイなる新興都市に住んでしまうと、ボロさや古さに異常な程度にまで愛おしさを感じてしまうようになる。そんな愛おしさがとまらないのが、マナマのスークなのだ。
街中をあるけば現地人だらけ。湾岸のアラブ人を身近に感じられる。
どこか、イランのテヘランやパレスチナのラマッラーのスークを歩いているような感覚を思い出す。
木のベンチでくつろぐスタイルのカフェがスーク内に点在。
カフェにはバーレーンの古い写真が飾られている
最上級のイスラーム女性を目の当たりにする
意外だったのはバーレーンは宗教的に保守的だということだ。いや、むしろドバイの方が開放的すぎるのかもしれない。そして私はついに見てしまったのだ。
隠すイスラーム女性の最上級バージョンを。
普段我々がよく目にするのは、髪と体を隠して顔面は出すタイプのイスラームの女性。ここをノーマルタイプとする。
そしてさらにその上をいくのが、サウジアラビアに代表されるような目だけが出ている目出し帽スタイル。ここが私にとって最も厳格とされるイスラーム文化の象徴だった。
しかし、バーレーンでは、もはや顔も覆った全身真っ黒けな女性が歩いているではないか。目だけならまだしも、すべてを覆ってしまうとは。若干不気味である。もはやリアルカオナシである。
左からノーマルタイプ、厳格タイプ、最上級
歩き方や風貌からすると年齢がかなり高めのようで、ドバイ同様やはり年長者の方が伝統的であるようだ。ちなみにこれはあくまでその国の伝統であるので、必ずしもイスラームの教えによるものではないという点がポイントである。この辺を宗教が厳しいからといって宗教のため、と混同しがちである。
最上級のイスラームウーマンを真正面から撮るのははばかれたため、しょうがなしに後ろ姿だけ撮影
またスーク自体にもその宗教要素が隅々まで行き渡っている。町の各所に段幕や旗があったり、イスラームの宗教グッズを扱った宗教ショップまである。
宗教グッズで埋め尽くされた宗教ショップ
イスラーム国風のカフェ。お茶とハンバーガーをただで恵んでもらう。しかしまずかったため数口たべて捨てた。
偶像崇拝を禁止するイスラームゆえなのか、中途半端な顔なし壁画となり不気味さを増す。
初めてお祈り中のモスクを目の当たりにした。異国の女が見ているということで、説教に集中できなくなっていたのか、こちらをちらちらとみやる。
こういう場所をうろうろしていると必ずいるのがおせっかいおじさんで、この度も登場。ちなみに前回はエルサレムのシナゴーグの前であらわれた正統派のおっさんだった。
おれが写真をとってきてやろうといって、私のスマホを持ってモスク内を撮影。しかしたいがいのおせっかいおじさんの写真技術はイマイチなのでこの程度になる。
どうしてもまっすぐとれないらしい
猫の栄養状態から見る国の豊かさ
どうもバーレーンの猫はみなやせ細っており、どいつもゼーゼーとしている。スークというエサがもらえる確率が高そうな場所なのに、やせ細っている。
ダンボールの上にうずくまるホームレス猫
同じアラブ諸国をいくつか旅する中で路上の犬や猫に出会うことはあるが、ここまで栄養失調状態の動物を立て続けに見るのは初めてである。
ドバイの猫はエサをよく恵んでもらっているのか、そこそこ人生を楽しんでいるようだし、イランの猫はややこけているものもいたが全体的にそれなりである。オマーンで出会った犬も気高く生きており、ソマリアの犬も栄養状態は良好で、紛争地帯と呼ばれるソマリアで、平和の象徴のようにすやすやと眠りこけていた。
とスークだけで思いのほか4時間ほどつぶれてしまった。バーレーンのこじんまりとしたスークの規模を考えるとかなり長い時間である。
ドバイと違い人の生活や息遣いが見える。だからこそ、人に絡んだり、町の様子を歩いて見るのが楽しい。
廃機材の集積現場に遭遇
空になった缶を運ぶ渋メン。カメラを意識しているのでかっこよさ3割増し。男というのはどうもカッコつけたがるようだ。
集積場でぼーっとしていると、空きカンをゴミ袋に大量に持ってきた男が。数分後男は金を手にして集積場を後にした。どうやら日本のホームレス流の稼ぎ方がバーレーンでも行われているらしい。バーレーンと日本に意外な共通点を見出した。
ドバイのスークはあくまでレプリカだ。ディズニーランドでいうところの、エセウエスタン通りみたいなもので。あくまで本物っぽく作った飾りなのである。そこに人の息遣いはない。あくまで観光客を歓迎するためのハリボテなのだ。
しょせん湾岸諸国は石油で潤っている場所でしょう、というのがイメージかもしれないが、石油で潤っていない(生産量が湾岸諸国でもかなり低い)バーレーンの生活はどこか所帯染みていて、途上国のような泥臭さがある。
バーレーンはずばり観光で訪れる価値のある場所か?
海外旅行という名目でいくのであれば、バーレーンをF1レースを見ること以外におすすめすることはないだろう。なぜなら通常日本人が海外旅行に求めるアトラクションはほとんど存在しないからだ。
海外旅行というパッケージで見てしまうと劣るが、東京に住んでいる人間が熱海へ行くという感覚でならば十分楽しめる場所だ。あくまでドバイもしくはドーハに住む人間が、小一時間ほど飛行機に乗り国内旅行にいくという位置付けである。
その意味でいえば、多少なりとも湾岸諸国の多様性を知るという意味では多いに面白い場所である。