幸せは金で買えるのか?ドバイが教えてくれた金と幸せの話

よく耳にする陳腐な疑問だけれども、ギンギラギンなドバイが考えさせてくれた金と幸せの関係について考えてみようと思う。おそらくこのドバイに立ち寄らなければ、きっとお金と自分の幸せについてきちんと向き合って考えることもなかったと思う。それほどに自分にとってドバイというのは、良くも悪くも金でギラついているイメージだ。

日本ではどうも表立ってお金の話をするのは好ましくないようだ。金の話をするのは卑しいとする風潮さえある。ホリエモンの「金で人の心は買える」という発言も稼ぐ人間への嫉妬からなのか、それとも必要以上に金のパワーを認めたくないのかわからないが、当時の世間を大いにざわつかせた。

けれどもそうした傾向とは反面、お金について表立った議論にならないと、お金について考える機会がほとんど与えられない。


決して、自分とお金の向き合い方がヘタレだったのはこうした日本の風潮のせいだというつもりは全くない。しかし少なくとも初期の頃はお金との向き合い方がわからなくて、お金に翻弄されていた部分があったと思う。まるで、父親が初めての子育てで自分の子どもとどう向き合ったらいいのか分からないといった感じだ。

お金とどう向き合うべきなのか、お金をどうコントロールするのか、もしくは稼ぐのか、金があれば幸せになるのか。こうしたことを常に考えさせてくれたのがドバイである。

年収が上がって得たもの

金持ちからすればはした金にすぎないが、少なくとも数年でうなぎのぼりになるというちっさな個人バブルを体感した私は少なからず浮かれていた。だからといって豪遊したり、無駄な消費をしていたというわけではないけれども、確実に言えるのは金は自分を格上げする自信要因になっていたということ。

それゆえ高年収=世間での一定のステータスを持ち得る、という意識があったためステータスが上がることで何か自分の幸せレベルが上がると勘違いしていたフシがあった。

金が逆に私を不幸せにする

繰り返すが大したはした金ではなかったが、それでも数年前の自分が予期していなかったような金が入ってくるもんだから、初期においては、金を持つ=自信がつくという公式のもと少なからず幸せレベルも向上するのではないかと考えていた自分がいた。確かに初期の頃は、自己承認が多少なりともアップしたため小幸程度は感じていた。

けれどもお金を得るということはそれなりの犠牲も払っているわけである。自分の時間なり、体力なり、自由なり。そうしたことを考えるとどうも釣り合わない。金を稼いでも、お金で自己承認が強まらない。なんだか幸せになれないという時期がやってきた。

もちろん年収と幸せレベルというのは必ずしも相関関係にあるわけではなく、一定の年収で幸せレベルも高止まりするということは周知の事実だが、どうやら私の幸せレベルも高止まりしたらしい。

幸せについて本気で考える旅始まる

「幸せって何だっけ?何だっけ?」。テレビで見ない日はない、明石家さんまがかつて醤油のCMでこんなことを歌っていた。

そんなわけで、一時は「幸せってなんだろ?」ということをひたすら考えていた。金はあるのになぜ自分は幸せになれないんだ、詐欺だろコノヤローとなぜか金を呪ったこともある。金に罪はないのに。

ひたすら考えた結果、私の場合、自分が幸せだと感じるポイントと金は直接的関係がないことがわかった。お金は自己承認アップにつながるけども、それは一時的で一定のお金を持っていれば、金額に比例して幸せ度が増すことはないのだ。

お金は選択肢を与える

さて、誰もがプチバブリーを味わえるドバイにおいてその他の人々はお金についてどう思っているのか聞いてみた。その中ではっとさせられたのが、職場の上司による「金があっても幸せにはならないけど、少なくとも選択肢はたくさん持てるだろ」という言葉だ。

この言葉で、お金を持つことの利点を正しく理解できたと思う。金は直接的な幸せをもたらすものではない。むしろ自分のやりたいことをさらに増やすためのツールにしか過ぎないんだ、と。

当たり前ではあるけども、ドバイに来ることがなければこれほどまでにお金と幸せについて考えることはなかっただろう。お金について考える思考は、自分の幸せについて考える思考にもつながっている。

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