海外で働いて1年、日本的働き方の洗脳を解くのにかかった時間

今思えばあれは洗脳状態に近かったのかもしれない。ようやくその洗脳が解かれかかった時点で、自分は日本の働き方という名の洗脳にかかっていたのだと気づく。

一時期は女芸人が、占い師の洗脳にかかり不可解な行動を起こすという騒動があった。当時はテレビを目の前に多くの観衆たちと同じくその洗脳された人間の不可解な状態を興味深げに眺めていた。

そして、そんなわかりやすい洗脳にかかるなんて心のスキがありすぎるなどと半ば芸能界活動に影響が出るほど生活を破綻させてしまったその芸人を哀れに思ったことを鮮明に覚えている。

しかしまさか自分がそんな洗脳にかかっていたとは・・・そして日本を離れてまったく違う環境で働くこと1年。そんな長い期間を経てようやくその洗脳を解くことができたのである。

会社の長時間残業、土日出勤におとなしく従う労働者たち

文句も言わず、忙しいなあ、辛いなあと思いながら規定以上の時間を働く。仕事が好きな人はいいが、そうでない人の方が大半だろう。なんの抵抗もなしにはいはいと長時間働いてくれる労働者は会社にとって非常に都合がいい。

しかしこちらでは、会社と個人の関係はドライである。会社は規定の労働時間に対して給料という報酬を払っているわけで、それ以上働くのは単なるボランティアでありタダ働きである。

であるから、残業代が払われない時間は自分が損をするだけだといって帰ってしまうのが大概である。

逆にちょっとでも残業が続くと、労働者は敏感に反応し仕事を減らせだの、人を増やせだのと自分の労働を減らすことに専念する。

会社、世間>個人という優先順位と個人への思いやりの低さ

どうも日本で働いていると個人への思いやりや幸せがないがしろにされているような気がする。自分が犠牲になっても、会社や周りへの貢献を優先的に考える日本人。

自分が楽しむ時間を割いても会社への貢献といって働く。自分が辛いと思っても周りに迷惑をかけるからと言ってがんばって出勤する。

それができないやつは甘いやつだというレッテルを貼られる。そんな逃げ道のない社会では、心を病んだり、鬱々とした顔で仕事をするのも当然だろう。

私も含め、いかに自分を楽しませるか、楽をするかという点において日本人は非常に弱いと思う。

私もこの価値観を転換させるのにだいぶ時間がかかった。もっと楽しい人生を送らなきゃ!仕事まみれで忙しいといっている自分は恥だ!なんて思いながら。

こちらでは個人の主張が強い。仕事が多すぎる会社はクソ食らえといって労働者に見捨てられる。同僚たちが真っ先に考えるのは、自分の幸せの追求である。

日本人から見ると、主張が強すぎて自分のことばっかり、という印象を受けるが結果的に得をするのはそういう奴らなのである。そしてそういう仕事をサイドに置きつつ、人生を楽しむやつらは見ていて眩しい。

いかに自分に得になるように行動するか、生きるか。それは決して他人をないがしろにすることではなく、あくまで会社や世間さまよりも自分を大切にしていることのようにも思える。

むしろこうした習慣はあくまで文化的に根付いているものであり、洗脳というと言葉は悪いかもしれない。けれども、うつ病の人が会社にいる、自殺する人がいるなんていう状況は、ドバイからすると異常でしかない。

そうした異常状況になれてしまった人間も恐ろしいものである。自己を犠牲にしてまで仕事をするというのは一種の洗脳であると思う。そしてその洗脳を解くのにかなりの年月がかかるということも。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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