世界はリオオリンピックをどう見ていたのか?

日本に帰国して初めて、リオオリンピックが始まったということを知った私。あまりの連日の加熱報道と、お笑い番組が見たい私に対して、オリンピックが見たい父の間で壮絶なバトルが勃発するぐらいだった。いつもはスポーツなんか興味ないくせに、こういう時だけスポーツに熱心になってしまうのは困りものである。

しかし私の攻めの攻撃もむなしく、連日のオリンピック報道の勢いにおされ、ほとんどお笑い番組が差し替えられているようだった。LIVEを報道するならまだしも、どのチャネルも金太郎あめのようにひたすら同じ映像と同じ結果を流し続けている。


正直言うと、気が狂いそうだった。そんなことより、お笑い番組を通常運行でやってくれよ!

1つの事象がすべての番組を占拠する、といえば思い当たるのはアメリカで起こった9.11ぐらいだ。しかしオリンピックはそこまで深刻さを極めているのだろうか。駅伝だって、全チャネルを占拠することは不可能だ。

とまあこうしたオリンピック地獄に悩まされた私は、ある疑問を抱くようになる。はて、世界の人は日本のようにオリンピックに熱をあげているのだろうか?いや、そうではないはずだと。

ということで、街頭調査(といっても会社だが)で世界の人々に聞いてみた。サンプルは少ないが、勘弁してほしい。こうした世界のヒトビトインタビューが自席から半径1メートル内でできるのは、ドバイの良いところでもある。

中国(いつもニコニコ新入り中国人同僚)

個人的には興味ない。しかし国では盛大に報道はやっているとのこと。私の質問力のなさなのか、彼の英語力のおぼつかさなのかわからないが、いまいち情報はとれず。残念。

モロッコ(お笑い担当モロッコ人同僚)

聞きたい情報を簡潔に答える。一応テレビでは報道するけど、サッカーほどではないという。そもそも出ている選手が少ないから、そこまでの盛り上がりは見せない。おそらく大半の国はこうした事情なのだろう。

ニュージーランド(元中国在住中国嫌いのニュージーランド人上司)

質問内容は無視し、2020年の東京オリンピックは見に行くぜ!と嬉しそうに答える。おいおい、日本出身の人間でもそんなに意気込まないぜと心の中で思いながら、その後は、東京のホテルを取りたいけど・・・という話になり、なぜか韓国や中国のホテル事情に話題がそれてしまったためニュージランドの事情は分からず。

インド(おしゃべり好きインド人上司)

一番のそれらしき有力情報をゲット。開口一番に、

「インドは5個でもメダルが取れたらいい方だよ」

という。そこですぐさま、インドだって中国と同じく人口が多いのにたった5個ですごいんかい、聞き返す。すると、

「それは人口が多くても、人のクオリティが低いからだ」

と堂々と言ってのける。私ではない。あくまでインド出身の一個人がいった言葉である。人口は多いけれども、アスリートになるための支援もないし、実業団みたいなものもない。そもそもそうした土壌がないのだという。

上司いわく、インドは貧しい家庭の人が多い。よって、生活のために仕事をして稼ぐことが最も重要になるため、アスリートのように稼げるのかわからないものになるリスクなんてとれないという。

その時初めて、アスリートになるということが能力ではなく、金銭的に恵まれているという条件も必須なのだということを思い知らされた。アスリートはいわば、恵まれた国の副産物なのだ。だからこそ、メダル取得のトップ国がGDPトップ国ランキングと似ていることに納得がいった。

それでも学校の体育の時間にスポーツをするうちに、スポーツ選手にあこがれるとかいうプロセスがあるんじゃないだろうか?と思い、聞いてみるとこれまた衝撃の答えが返ってきた。

「体育の時間は、そんな公式のスポーツなんかした覚えはない。インドは人口が多いから俺のクラスなんか80人ぐらいの生徒がいたんだぜ。学校も貧乏だからその80人全員が使える器具や備品を買うお金もない。器具があったとしても、順番で使うとかだろうけど80人もいたら全員がやるまえに終わっちゃうだろ。」(あくまで一個人の体験です)

恐るべし貧乏!

じゃあ体育の時間は何をするのかと聞くと、

「こうやって片足をあげてケンケンして進むんだ」

と実際に見せてくれたのだが、一体それはなんという名のスポーツなのだ?そもそもスポーツなのか?

いやまて、小学校ならまだしも中高ぐらいは、バスケだとかバレーとかをするもんじゃないのか?と聞いても、上司は話を盛りにきているのか

「ケンケンだ!」

としか言わない。

驚愕!

卓球やらテニスやら、バレー、水泳など日本の体育の時間はなんとバラエティに富んでいたのだろう。そして、あの頃は嫌で仕方がなかった体育も、基本的な運動の形を学ぶのにはすばらしい授業だったのである。今になって「体育」のありがたさを知るのである。

学校で水泳の授業がなかったという上司は、今になって独学でクロールを習得している最中だという。

日本だとある程度スポーツができるというのは当たり前だが、実は他の国ではそれすらも知らない人がいる。つまりは学校で習ってちょっと水泳ができるだけでも、他国ではすげーアスリートになっちゃうんじゃないか、と考えるよこしまな自分。

いや、これはあながち嘘ではなく近所のプールで見ていてもまともに泳いでいる奴がいない。プールに浸かっているもしくは浮遊しているやつが大半である。泳がないのではなく、泳ぎ方を知らないのでは?という説を常々考えてきたのだが、こんなあほらしい私の仮説もあたっていたのかもしれない。さらに確信を得た私は、自分はドバイで水泳に関しては絶対トップ10に入るぐらい速いという自負を抱いている。

さらに追加すると、ユーロカップでは連日のようにみなが会社のグループチャットでわいのわいのさわいでいたのに対し、オリンピックではそれが存在しないかのように誰もその話題に触れることはなかった。哀れリオ。

というわけでこの街頭調査からわかったのは、
1.世界の大半はオリンピックに興味がなかった。サッカー大会の方が人気。
2.スポーツ力の高さは経済力の賜物

ということだ。