人見知りは克服しなくてもいい!人見知りでも楽に他人と住む方法

ただでさえ人といるとつかれるのに、家でも人と暮らさなければいけないとなるとその精神的苦痛は計り知れない。カナダ、イスラエルでもシェアハウスをしたが、わたしの性格ゆえなのか人見知り、内向性ゆえなのか下記のような症状を発症した。


症状1 :常に人の気配をチェック

あ、今キッチンにいるなとか、部屋を出たなといった気配をいちいち感じとろうとしてしまう。そのために、今ルームメイトが部屋を出たから外に出るのはやめよう、キッチンを使うのは後にしようなどと人と交わらないようにするため自分の行動が制限されてきた。まるで犯罪者のような気の使いようである。

症状 2: ルームメイトの行動パターンを把握しようとする

これも共有部分などで人に会わないようにするためである。大体この時間に料理を作るから、この時間帯にキッチンにいけばOKなどとかなーり気を使う作業である。

症状 3 :料理を作らなくなる=食生活があれる

とくにひどいのはカナダで8人ぐらいとルームシェアをしていた時。とにかく英語が苦手で話すのが恥ずかしい、相手の言っていることがわからなかったらどうしようなどということばかりを考えていたため、極端に人と会うことを避けていた。

そのためキッチンには一切いかず、といっても朝のルームメイトが寝ている6時頃にキッチンに行き急いでその日分の料理を作っていたのだ。といっても料理というほどではない。

人が来たらどうしようという焦りが常にあったため短時間クッキング(こったものは作れない)+料理下手ということで、毎日作っていたのは卵おかゆぐらいだった。毎朝早起きをして、タッパーにいれて食べていた。そして食べる直前に味付けとして、醤油をたらーりとかけてかなしい卵おかゆが完成。

今考えても惨めすぎる食生活である。

それではお腹が空くので、夕方はスーパーで買ったデリ(これは本当に余裕がある時だけ)、お菓子などで済ませていた。日本のコンビニのように安くて美味しいものはカナダにはないのだ。

またキッチンにいけないということは、コーヒーなども作れないので、飲み物はつねにペットボトルの水、たまにやけ酒といった具合でかなり食生活があれていたと思う。

症状4 : 引きこもりになる

症状1~3が重なるとこうなります。上記のカナダの例のように、極端に人に会うことをさけて忍者のように暮らしていたため、休日はほとんど部屋の中で過ごしていた。出かける時間帯もかなり気をつかい、みんなが寝ていそうな早朝に活動する、といった暮らしをしていた。

結果的に3ヶ月滞在していたのにもかかわらず、8人中2人のルームメイトとしか会わず、話さなかった。今でも忘れない、カナダのシェアハウスを出る時のあの希望にみちた自分の背中を。背後から光があたって、自分の向かう方向がキラキラしているイメージである。

人見知りが追い込まれるとこうなる

といったように人見知り、内向的であるがためにシェアルームは精神的な苦痛しかなかった。なんとしてでも避けたいルームシェアだが、残念なことに今回ドバイで住まいを探すにあたり、予算の都合上ルームシェアとなってしまった。

なぜあんな苦痛だったシェアルームにしたのか?一人だけのスペースで駅近な場所に住むため高い家賃を払う、またなれないドバイで水道、インターネットの設備などを自分で全て行わなければいけないという苦痛(一見簡単そうに見えるがドバイの洗練を受けた後だと立ち向かう元気がなかった)と比べたら、それがすべてチャラになるシェアルームでもよい!という決断をしたからだった。

シェアルームに住むと決めたからには、なんとしてでも過去に味わった辛酸を絶対にもう舐めたくない!ということで、「人見知りでもシェアルームに快適に住もう!」プロジェクトが始まった。

まずはなぜシェアルームが苦痛だったのかという分析から。

なぜ人見知りな自分は他人と住むと苦痛を感じるのか?

人を避ける、というのは別に人が嫌いというわけではなくどのように接すればいいのかわからないのだ。例えば、あったら話さなきゃいけないのだろうか、同じ日に何回もあったら話すことがなくて気まずい、などとどのように接すればいいのかわからないというのが根底にあった。

ならばその気まずさをいかに感じないようにするか、である。そこで編み出したのが下記の思考法。

家賃を払っているんだから使わなきゃもったいない

もったいない精神につきる。遠慮はいらない。自分のお金、自分の人生なのだから好きにいきればいいのさ。と考えたら結構ぐいぐいいけた。

外人は何も思っていない

決して彼らをバカにしているわけではありません。彼らは細かいこと気にしないんです。彼らと我々人見知りの思考パターンは全く別物。こちらがうじうじ考えるのは時間の無駄で、彼らはなんとも考えていないのだ。

別に話さなくていい

キッチンで別々のことをしていたって別に話さなくてもいいということがわかった。とにかくあった時に「Hi! How are you?」。別れる時に「See you!」といっておけばOKなようだ。また、いろんな人に話しかける練習にもなるので、とりあえず「そのサングラスいいね」とか「何作ってるの?」とか聞くと会話がスムーズになることがわかった。

人それぞれ

積極的に話す人もいれば、そうでない人もいる。みんなそれぞれでやっているので、自分もそれぞれやればいい。話さないひとと思われてもいい。なぜなら日本人だったらシャイなのね、と流してくれるから。とりあえずニコニコして問題を起こさなければOK。

いろんな情報が手に入る

とくに新しい土地、国に来た時にはシェアルームは有効だと感じた。もちろん家賃の支払いがスムーズ、そもそも家賃が安いといったメリットもあるが、どこに何があるのか、生活情報、その人の意外な人生などがわかったりして面白い。そして運がよかったのか驚くほど、みんなが優しくいろんなことを教えてくれる。

自分を試す場

人見知りを克服しよう、などとハードルが高すぎる目標を掲げては意味がない。というより個人的に人見知りはもう治せないと思う。。。だが、同じ人見知りでもものは慣れ。どんどん話しかけることで自然とプレッシャーを感じなくなるかもしれない。話しかけ上手になるかもしれない、といった自分にプラスになるということを考えれば、まあゲーム感覚で楽しめるものだ。

精神を正常に保つ場

ともすれば人見知りが一人暮らしをすると、休日は人と話さずに終わったということはざらにありそうだ。一人が好き、あまり人と話したくないと己の性質に従って行動しすぎるとこれはこれで人と接しないことから引き起こされる、「休日ネガティブ」になったりしてしまう。なのである程度強制的に人と話すことによって、これらが避けられるので精神的には非常に良いと思った。

最後に

視点を変えるだけで、人見知りを直さなくてもなんとか楽しく生きていけるのだ。また人といることをデフォルトにしておけば、意外と一人であれこれ考える時間がなくなるので、ネガティブにならなくてすむ、といったメリットも最近発見した。

とはいえ人見知りとはしばらく付き合うことになりそうだが、それでも自分と人見知り、人見知りな自分と他人との付き合い方をうまく見つけることによって、意外と人見知りでも苦痛を感じずにいきていけるのではないかと思う。