ドバイと日常からの逃走

君という太陽を失ってどこへ行こう。

5月23日、目標という名の太陽を失って広大に広がる終わりのない砂漠に一人ぽっかりと残された私はどうすればいいのだろう。アフガニスタン渡航という目標を不条理な形で奪われて以来、おかしな話かもしれないが、私は何も手につかないほど落胆した。


ドバイで働いているのは目的ではなく手段である、と常に自分に言い聞かせている。だからこそ、このドバイ滞在を確固たるものにしてくれる目標というものが私は必要だったのだ。もしかしたら目標というよりも、単なる言い訳だったのかもしれないが。

Twitterで「寿命が延びてよかったですね」なんていう楽観的な感想をいただくも、私はそうとらえない。そのように「アフガニスタンに行く=死ぬ」と考えている人がいるから、ちゃんと事実を見せなければいけないと考えている。それこそが私のやりたいことなのである。

メディアというごく限られて、しかも意図的に作り出された視点で切り取られた情報だけで世界をジャッジしてしまうのは早すぎる。そしてそれすらも知らずに生きるというのは、私にとっては耐えられない行為なのである。

すでに誰かが確立した世界観の中で生きることほど退屈な人生はないだろう。なぜならそれを切り崩して、新たな世界観を作り出していくことこそが人生の醍醐味だと私は信じているからだ。

それがただ、日本人という生まれもって自分の努力では変えられないもののために阻まれたとき、底なしの無力感を感じる。国籍を変えてでも行ってやろうかという思いだ。

というわけで、半ばドバイにいる意味を失いつつ、茫然自失の毎日を送っている。

海外で生活をする、働くということは今まで非日常だった。しかし、やはりどんな新鮮味があることでも日常化すれば、非日常は日常化する。今はこの日常をもてあまして、退屈に押しつぶされかかっている毎日だ。何をしていても、考えていても「退屈」この2文字が頭を占拠している。

よくよく考えてみれば、5月の時点で40度越えをするドバイは、もはやもともと人間が普通に暮らせるようなまともな場所ではない。そしてだだっぴろい砂漠の中に突如として現れた、人工的な近未来都市に住んでいるとどこか心身に違和感を感じる時がある。

人間が人間として生きていくのに何か基本的なものが満たされないというか。

インド人から逃れたい。アラブ人から逃れたい。フィリピーノから逃れたい。イスラームから逃れたい。差別から逃れたい。車から逃れたい。暑さから逃れたい。自然に触れたい。昼間に町を歩きたい。退屈から逃れたい。ドバイから逃れたい。

というわけで今週末はドバイからのPerfect Getawayをはかりたいと思う。

見ず知らずの非日常に染まることで、この日常の退屈が少しでもそがれることを祈って。