恥じらい文化からやってきた日本女子には衝撃!音姫がない海外トイレでの気まずい瞬間

一体いつからなんだろう。日本の恥じらい文化の延長線上として、トイレの音まで隠すようになったのは・・・大学時代にはすでにトイレに音姫が普及していたような気がするので、高校生までは高校のトイレなんかではトイレの隣人の用を足す音が身近にあったはず。いや、よく思い返してみると高校時代からすでに、トイレの水を流しながら音を消すという「音姫」を手動で演出する原始的でありながら地球に優しくない行為に及んでまでも、用を足す音を消そうとしていた覚えがある。

そう、反エコ的な行為をしてまでも用を足す音を隠したい、それが日本の恥じらい文化である。その結果生まれたのが、これまた世界では絶対に流行るはずのない「音姫」と呼ばれる産物である。


反抗的な性格なので、「音姫」がある日本では、「ふふん。人間として自然の音なのに何を恥じらって隠す必要があるんだ」と「音姫」をやすやすと使うことに反抗があったものの、ガサゴソと物音をわざと立てたり、隣の人の「音姫」の音に乗じて用を足すという姑息なことをしてきた私である。

しかし!当然だが海外には「音姫」なんていうものはない。海外であっても通りすがりの公衆トイレなど見ず知らずの他人同士であれば気にする必要はない。しかし問題は職場という最も身近な人間が出没する可能性が高いトイレを使う時である。

人の気配を最大限に察知するようにし、なるべくタイミングをずらしてトイレを出るなどし、あくまで音を聞かれた人間に出会わないようにするのがコツである。

海外トイレの辱めは、自分の音が聞かれる恥ずかしさだけではない。なぜか周りの音を聞くのも同様に恥ずかしいものである。音が長く続くと、「ああ、この人トイレ我慢していたのかな」とか「あ、この人は今生理なんだなあ」とどーでもよいことを用を足しながら考えてしまう。

そんな忍者のようにトイレを出るタイミングを伺っていた私に、突然不運が訪れる。こともあろうに、斜め向かいに座っている同僚とばったり出くわしてしまったのである。トイレの用を足す音と目の前にいる同僚を重ね合わせてしまう恥ずかしさと自分の音も聞かれてしまったという恥ずかしさ。あーこの恥ずかしさどうしよう。宇宙のチリになってくれればいいのに。

が、向こうはまるでそんなことを0.1秒たりとも考えていないかのように「さっきお祈りにいってきたのよー」などと普通に話しかけてくる。こいつ、絶対音とか気にしてないな、と思いながらも、恥ずかしさを感じてしまう自分は、究極的な恥じらいを感じてしまう「音姫」の副作用に苦しんでいるのだなと思った。

海外のトイレに望むこと。それはウォッシュレット化ではなくむしろ「音姫」という恥じらいを取り除いてくれる心の安心だ。だってトイレぐらいのびのびとしたいじゃんねえ。