謎の取材の依頼が舞い込んできた

依頼といっても正式なものではない。まるで名探偵コナンに出てくる毛利探偵あてにやってくる迷依頼みたいなものだ。ある日突然Facebookに謎の男からメッセージが届いた。私のインスタグラムを見て連絡してきたらしい。男は拙い自分の英語力を謝りながらも、必死で何かを訴えてくる。

話によると彼はマレーシアに住んでおり、ロヒンギャ族にあって取材をしてほしいのだという。正確にいうと取材というわけではないが、ロヒンギャ族に会って彼らのことを世の中にもっと広めて欲しいという意図らしい。ロヒンギャ族?という聞いたこともない族だったが彼曰く、ミャンマー政府から存在を認めてもらえず、IDも持たない言わば無国籍の人たちらしい。

しかしロヒンギャ族でもない彼が、なぜそこまでして訴えてくるのかと聞いたら、「同じムスリムだ」からとのこと。うーん、そんな理由なのか?ロヒンギャ族本人がいうならまだしも、代理人として依頼してくるのはどうもうさんくさい。


と同時に世界にはもっと掘り起こさなければいけない事象があるのだということも実感する。当事者たちにとって、誰の目にも触れられない、伝え手がいないというのは世界との断絶を意味するのではないか。だからこそメディアやジャーナリストというものがあるのだろうが、どうもそれだけでは世界はカバーできないものらしい。

またジャーナリストやメディアがいかにも世界の紛争や問題を扱っています!といっても彼らの中にも流行り廃りがあるように感じられる。一時的にある事柄を集中して報道をして、世界中の注目を浴びればいい仕事をしている、という風に思われるかもしれないが、問題なのは集中報道という名の流行が過ぎた後である。そして問題はまだ続いているのに、メディアが報道しなくなると、人々もそのことを忘れてしまうのである。

それを強く感じたのがパレスチナだった。2008年にガザ戦争があったときは世界中のメディアがこぞって報道し、パレスチナにも世界中から多くのボランティアがやってきた。かくいう私も当時はその一人だった。そして人々は分離壁に、「パレスチナに自由を!」などと書いたり、デモに参加してパレスチナ人とともにイスラエル軍に抗議をしていた。

しかしその5年後どうだろうか。パレスチナの人をめぐる状況はほとんど変わっていない。しかも今だって毎日何かしらの事件が起きている。しかし、それはメディアにとってはガザ戦争ほど映像映えするものではなく、世界の関心を掻き立てるにはどこか足りないものがあるのだろうか。報道とともに世界からやってきた親パレスチナの人たちも影をひそめたように、町はひっそりしているという印象だった。おそらくこのことは2011年の東日本大震災にも通じるところがあるのではないか。

報道だってあるお笑い業界と同じく、流行り廃りが激しい世界のような気がする。同時に情報を消費する側のことを考えればある程度は仕方がないのかもしれない。人それぞれ人生があり、生活があるのだからそうした身近な問題に埋没していくことは私も含めごく普通のことだと思う。

たとえ興味を持つ人が減ったとしても、現時点ではいなくても、興味のある誰かが知りたいと思ったときにそうした情報が少なくともある状態にしておきたい。もしくは偶然発見して、興味をもってもらうか。ソマリアなんて誰も興味ないんだろうなあと思いながらも、ソマリア旅行記を書くのにはそういう意味があるわけで。

話は冒頭に戻り、とりあえずロヒンギャ族に関してはリストに入れてしたためておこう。今はまだ中東・アフリカにいくべきところがあるので、そちらを優先したいと思う。