「スタートアップ」、「ベンチャー」というまやかしに騙されるな

というわけで、自分は自称スタートアップという名の中小企業からまた大企業へ戻ることとなった。別にスタートアップが嫌で、大企業に戻りたいというわけではなかった。むしろスタートアップで働きたい!という意思が強かっただけに、こうした結果になったことは非常に残念だ。

私が見た現実というのは、結局あの会社はスタートアップという名の単なる中小企業だったのではないかということだ。社長の心意気としては、まさにドバイでビジネスを展開し成長していくスタートアップ!ということだったが実態は、社員の7割が大学を卒業したばかりか経験数も少ない人々。そんな人たちを何を思ったか、あらよあらよと言う間にディレクターだのマネージャーにしてしまうのである。


もちろん実力さえあれば何も言わない。しかしエグゼクティブレベルでもあかんわ、と思う仕事ぶりなのに何をどうしたら彼らをマネージャーと呼べるのか、という疑問符がつきまとう。そこには実力主義というものではなく、ただ形骸化したかざりだけの役職にしか思えなかった。

しかも当人達もそれが本当に自分の実力に見合ったものかという自省もなく、もしギャップがあればそれに見合うだけの働きをしようという意欲もなく、まるで大きな権力を持った赤子がのしのしと歩くに等しいような状態だった。プロフェッショナルというにははなはだ及ばず、まるで高校の文化祭のノリでプロを語っているのだから、はたから見たら詐欺としか思えない。

こうした現状を見てきて、スタートアップというのはまやかしなのではないかと思うようになった。もちろんその何あった素晴らしいスタートアップもあるが、資金力もなく、その調達先もない、確固としたビジネスモデルもなく、単なる新しい会社でさえも俺はスタートアップだと名乗っているのでないかと思う。もしくは、私の考える「スタートアップ」と世間一般もしくは彼らの「スタートアップ」の定義に大きな違いがあったのか。

ベンチャー企業やスタートアップの定義については、Btrax社のブログ記事「ベンチャー企業とスタートアップの違い」が参考になる。

定義はともかく、「スタートアップ」や「ベンチャー」という言葉は非常に危なっかしい言葉だと今では思う。きちんと事業内容、働いている人、資金調達先などを見極めなければ私のようにとんでもない事態に巻き込まれてしまう。

日本では「ベンチャー」という言葉が一般的に使われているが、それでもたまに「ベンチャー」という言葉を巧みに利用している節がある会社があると思う。特に就活生に向けては意欲のある学生を「ベンチャー」というまやかしで釣り上げて、実態は単なる中小企業(中小企業自体が悪いのではない)、最悪のケースはブラック企業だったりする場合もあるのではないか。

これは必ずしもスタートアップやベンチャーという言葉だけではない。大企業だって同じだ。つまりは会社の規模や知名度だけで会社を判断して、もっと重要なことを見逃すと大変なことになるということだ。もっと重要なことというのは、会社のビジネスや展望、最も言えば働く同僚や彼らの価値観を理解することだと思う。

私のケースでは、小さい会社であっても「スタートアップ」という言葉につられ、何か自己の成長につながりそうな未来があると勝手に誤診していたのだ。もしスタートアップというではなく、もっと会社の先見性や同僚たちを慎重に見極めていたら・・・といっても過去は変えられない。

ただ言えるのは、あの時の自分の判断が悪かったのだ。会社のマネジメント、仕事のやり方がおかしいと思った時点で、現状を的確に判断できる情報を集め、素早く決断をするべきだったのだ。それを自分が悪いのか、時間が解決してくれるなどと甘んじたことを言ってほっておいたため事態は深刻化したのだと思う。

しかし過去は変えられない。それでも同じような状況にある人には、自分が悪いのか?などと言ってもんもんとしたり、無理やり自分を適応させるよりかは、さっさとやるべきことをやり環境を変えた方がよいと言いたい。

不思議なことにあのような会社でも何の疑問も持たずに楽しくやっている人たちもいる。一方で、頑として受け入れられない価値観として捉える私のような人間もいる。価値観としては理解できても、それに溶け込めるかどうかは別の話だ。結局は会社とはいえ人間の集合体なのだから、同じような価値観の集団の中に身を置く方が無駄な体力を使わず、目標達成に効率的に体力を使えるのではないかと思う。

会社を辞めること、特に短期間の場合は後ろ向きな意見もあるだろう。ただの集合体選びなのに、必要以上に力んで考えてしまう傾向がある。しかしそれが単なる集合体選びという遊びの要素が加わればなんてことはない。間違った集合体に入ってしまったら、それを抜けて別の集合体に入るだけなのだ。