就業時間中にこっそりと転職面接へ

またかよ・・・先日の最終面接という名の事実上は「第2次」面接をパスできたものの、次の面接の日程を見て、またため息が漏れる。どうにもドバイというのは、採用側が非常に強い+就業時間内に面接をしようとする傾向がある。もちろん面接のために残業するなんてありえない、というのが前提なのだろうが。

日本でも名のしれたグローバルな大企業でさえも、平気で「今日の何時に面接をやる」とか「明日の4時に来て」とかいうのである。一度、「明日これる?」と人事に聞かれたときに、「いや、明日はちょっと・・・」というと、「あーた、本気でこのポジション取りたいならそこは、はっきりYESっていうのが常ってもんよ」と言われるぐらいである。というわけで、仕事を探している人間にとって採用側が言うことは絶対なのである。


冒頭の話に戻ると、面接時間は就業時間中なのでまた苦し紛れの言い訳をして早退をしなければならないのである。これまでに何回かすでにやってきたが、こればかりは背徳感を感じざる得ない。転職活動をしていることをあからさまにし、早退し面接に行く、背徳感の塊である。

メールの文面から、これはネイティブじゃねえなと思って油断していたのだが、出てきたのはまさかの英国貴婦人(貴婦人といっても30歳前後)だったのだ。このように面接においては、私にとってネイティブか非ネイティブかというのは非常に重要になってくる。昔からネイティブと話すだけで、鼻に汗をかくぐらい緊張してしまっていたが、非ネイティブだと同じ仲間だと思って話せるのである。

ええ?イギリスってこんな表現するの?といまさらに英語の多様性に気づかされる。非ネイティブの容疑をかけてごめんなさいと心の中で土下座をしながら、にこやかに挨拶。イギリスが統治していたという歴史のなごりなのか、Wikipediaによると、UAEに住むイギリス人は24万人、米国人は5万人、日本人は3,000人ほどと先進国の中では圧倒的に多い。UAEの人口は930万人なので、イギリス人の比率は全体の2.4%と少ないが、大体ホワイトカラーのそれなりの企業で跋扈しているのはイギリス人なのである。

そして始まった最終面接という名の「第1次面接」。「第1次面接」というだけあって、内容は非常に簡単だった。履歴書を見ながら過去の会社について、なぜこの会社を辞めたのか、どういうことをやっていたのか、と聞くぐらいである。ふとこの時点で、一体自分が何のポジションに応募しているのか、自分の役割がなんなのかを知らないことに気がつく。そう、知人からの紹介なのでJob Descriptionなどというものをもらっていなかったのである。とはいえ、ある程度は今までの面接から想像はつくのだが。

といった具合に、ここに最終面接が終了。特に失敗はしていない・・・と思う。疑い深い性格なので、はたから見ればある程度結果は見えていても、確実なものがなければ絶対に信じないタイプ。なので、これに受からなければ、ドバイを去ろうという絶望的なことまで考えていた。もはや現在の会社にしがみついてまでドバイにいることなど、自分の選択肢の中にはなかった。

それでもやっと終わったんだ、という安堵の気持ちで会社から駅までの道を歩いていると「ハロー!」といきなり声をかけられた。青いシャツとスーツで決め込んだ、アフリカ出身(たぶんナイジェリア)の男だ。あまりにも笑顔で自然に声をかけてくるので、疑う隙もなく思わず「ハロー」と返してしまった。しかし、その次に男の口から発せられたのは、「朝から歩いて職を探しているんだけど、なんか仕事紹介してくれないか?」というものだった。

この男、アポもなしに朝から手当たりしだいに、会社の面接を受けようとしているのか?見ると、男の手にはA4サイズの茶封筒があり、おそらく履歴書が入っているのだろうと容易に想像できた。なんということだろう。同じく次の仕事を探すために必死になっている私と、アフリカからやってきて朝から足で地道に転職活動をしている男。まったく同じ状況に我々はいるのだ。

と一人で皮肉な状況に苦笑しながらも、「すまん!私も今仕事を探しているんだ」というと、男はすぐに立ち去って言った。自分のことで精一杯な自分。自分は何もできない、何者でもないのだという事実を突きつけられる。

暗くなった帰り道、ある一台のバスが目の前を通る。ドバイでは何度も見かける労働者たちの通勤光景。ふるびたおんぼろバスに、インドやバングラディシュなどの労働者が何十人も乗っている。彼らは建設現場で驚くほど安い賃金で働き、労働キャンプと呼ばれる労働者たちが暮らす場所へ帰るのだ。生きるため、家族のため、という確固たる目的のためにドバイにいる彼らに比べて、自分は一体何のためにドバイにいるのだろう。そんなありふれた光景でさえも、その時は自分の仕事に対する価値観となぜドバイにいるのかという理由を強く問いただされたような気がした。